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『スポーツには「力」がある』という考えに潜む危険性

「スポーツには、力がある」
どこかで聞いたフレーズだ。
私自身が、パラスポーツの記事を書いた時、どこかで使ったことがあるかもしれない。

元フィギュアスケート選手の町田樹さんの著書「若きアスリートへの手紙 <競技する身体>の哲学」を読んで、改めて、これらの言葉を使う際には慎重にならなければいけないと反省した。

町田さんは、次のように書いている。
スポーツは、スポーツ以外の何者でもない。そして本人が一番分かっているように、アスリートが競技会で行えることは、やはり競技以外にない。にもかかわらず、己の権内を超えて、「スポーツには力があり、感動を与えられる」と猛進するのは、やはり傲慢かつ危険なことなのではないだろうか。

(本書 P458より)

新型コロナウイルス(SARS-COV-2)の感染拡大により外出自粛が強く求められていた頃、特にワクチン接種が普及するまでの間、「こんな状態でスポーツをしていいのだろうか?」と考えたアスリートは、少なくなかったのではないだろうか。

2021年夏に開催された東京パラリンピックでは、日本代表選手たちのインタビューの中で、
「コロナ禍の中、開催してくださった方に感謝します」
という旨の言葉を数多く耳にした。
SARS-COV-2感染拡大以前、2016年のリオ・パラリンピック、2012年のロンドン・パラリンピックで、そのような言葉を聴いた記憶はない。
「パラリンピックが開催されること」
「パラリンピックで競技ができること」
多くの日本代表選手が、こうしたことの有難さ、価値を実感したのかもしれない。

ただ、彼らの「感謝」の言葉を聞けば聞くほど、私自身は、彼らに対して言葉を返したい気持ちになった。
日本代表選手たちは、コロナ禍の中、トレーニングを続け、パラリンピックでもっとも良いパフォーマンスを発揮するために努力してきたはずだ。自らが感染しないように、日常生活のあらゆる場面で気を使ってきたに違いない。
「アスリートがいるから、パラリンピックができる」
パラリンピックの競技会場に入り、選手たちの姿を写真撮影していたからかもしれないが、
私は、彼らに対して「感謝するのは、こちらですよ」と思っていた。

本書の中で、著者の町田さんは、「スポーツは必要か?」と問うことについても、触れている。

アスリートはアスリートとして存在しているのであって、競技をすることに引け目やうしろめたさを感じる必要はない。
アスリートは自分が理想とするパフォーマンスを追求すればそれで十分であり、感動の授与や、世界平和、心の結束、経済効果などのために存在しているのではないからだ。

パラリンピックの取材の中で、日本代表選手が「バリアフリー政策」や「女性の活躍推進」などについて意見を求められている場に出会ったことがあった。
私自身も、「コロナ禍でのパラリンピック開催について、どう思うか?」と選手に尋ねたことがある。
しかし、町田さんの言葉を基に振り返ると、「一個人として。どう思うか?」を尋ねるのか。「アスリートとして、どう思うか?」を尋ねるのか。私自身がまず、整理しておく必要があった気がする。

本書は、町田さんが自身の経験をもとに、若いアスリートたちに伝えておきたいことをまとめた1冊だ。自らの失敗や反省を踏まえたアドバイスがたくさん含まれている。
「スランプ脱出法」「緊張状態の制圧戦略」「基礎とは何か」「ライバルとは」など、競技力向上に向けたものから、引退後のキャリアデザインなどにも触れている。

若手アスリートにはもちろん、アスリートの指導やサポートに携わる人、メディア関係者にもお勧めの1冊だ。

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