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【京都不案内】歴史や文化より面白いのは、人だ。
20代の頃、3年間京都に住んだことがある。 大学は卒業したものの、就職氷河期で、先が見えなかった。そこで、とりあえず就職とは別の目的に切り替え、 「京都に住みたい」という夢を叶えることにした。
「京都に住みたい」と考えていた理由は、歴史や文化がある街だから。そして、都会でありながら、「東京ほどではない」ということだった。当時の私にとって、「東京」は、渋谷と原宿、そして歌舞伎町のイメージ しかなかったので、「東京なんて、自分にはとても住めない」と思っていた。
京都で暮らして、一番良かったのは、 「会社員」「公務員」でもない人々にたくさん出会えたことだ。西陣で暮らしている陶芸家や写真家などと出会い、 多様な働き方、生活の仕方があることを知った。 若いアーティストを支援している大人たちから聞く仕事や趣味の話も面白かった。
将来への不安がなくなったわけではなかったが、京都で出会った人々のおかげで 「就職先が決まらなくても、なんとかなるかも」「自分が好きなことをして生きていけばいいんだ」 と考えられるようになった気がする。
「京都不案内」(森まゆみ・著、世界思想社)は、著者の森まゆみさんが京都に住んでいるかのように滞在する中で、 出かけた場所や、出会った人々とのことを綴ったエッセイだ。映画館、カフェ、ラーメン屋、銭湯などをテーマに書いているページもあるが、 森さんが京都で出会い、興味や関心を持った相手とのやりとりや、 インタビューのページのほうが、より面白い。
この本のタイトルの「不案内」について、私は、「不案内」=「案内しない」と思い込んでいた。このため、「案内しないという本なのに、おかしい」と思いながら、読んでいた。
「あの場所にこんな背景があったとは、知らなかった」 「昔、行ったことがあるけど、今はそんなふうになっているんだ」などなど、 ページをめくればめくるほど、森さんに京都を案内されている気分になってくる。よりいっそう「変だな」と思ってようやく、「不案内」の意味の取り違いに気が付いた。
「不案内」というのは「その道に通じていないこと」「勝手が分からないこと」を意味する。
「通じていない」「勝手が分からない」という人だからこそ、 気が付くことができた、京都の面白さがあるのだと思う。
ああ、やっぱり、また、京都に行きたい。