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読書の秋

彼を知るずっと前から、読書が好きだ。
幼い私にとって、本は遊び相手だった。知らない世界を見せてくれる、最高の存在だった。
年を取って、彼を知った今でも、読書を娯楽として楽しんでいる。

彼は、どうやら読書を重視しているらしい。とある本の彼のページに書いてあった。とりあえずほしいと思った本は買っておく、という彼の発言に影響されて、私もほしいと思った本をすぐ買うようになった。
無計画に本を買うようになったが、きっと彼の発言はこのようなことを推奨するようなつもりはないと思う。私が勝手に影響されただけだ。

彼が読書を重視すると知って、読書が昔から好きでよかったと思った。
彼との共通点ができたと、これまた勝手に解釈した。
彼が寄稿した本はもちろんのこと、彼が読んだという事実がわかった本は、すぐに買って読んだ。

内容に興味がなくても、彼が読んだ本なら読んだ。
彼と全く同じ記憶を共有できなくても、少しでも似たような体験を脳に刻みたかった。彼が読んだという要素は、不思議と私を幸せにしてくれた。
これからも読書を好きでいたいと思うし、彼が私の前からいなくなってしまっても、それが読書を好きでなくなる決め手にはならないと思う。

「読書の秋」という表現があるが、私はあまり意識していない。
秋だから読むということはせず、読もうと思ったときに読む。
秋そのものはそこまで好きではない。
寒さと彼の誕生日が終わっているということに寂しさを感じるからだ。
寂しさもまた良いものと捉えることもできるが、私は寂しいのは苦手だ。

彼を好きになってから、読書というものは私にとってより特別なことになった。本を読んでいるときは、隣に彼がいるのではないかと錯覚することもある。なかなか会うことのできない存在だからこそ、近くに感じることができる手段は、大切にしたい。

役に立つからだとか、知識のためとか、そんなことは関係ない。
ただ好きだからこそ、もっと読書を楽しみたいと思う。

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