ボレロ
僕は印象派の音楽が苦手だ。中でもボレロはずっと大嫌いでつい最近まで絶対に聴きたくないNo.1クラシック曲の一つだった。
しかし、大嫌いというものは得てして大好きに転んだりもするもので、ここ数日は毎日のように色んな指揮者盤を聴き漁っている。
今日はゲルギエフがロンドン・フィルを振ったものをYouTubeで観て大感激。何が良いってゲルギエフのタクト(指揮棒)が爪楊枝みたいなとこ。調べてみると「指揮者たるもの、眼で指揮すれば良いので正直タクトは何でも良く、それを証明するために日本の箸で指揮をしたこともある」そうだ。
ボレロが大嫌いで大好きな理由は幾つかある。
交響曲でもないのに指揮者に依っては20分超えの大曲になってしまうその大袈裟さ。
初演時に何人もの女性がエクスタシーに達し倒れるという嘘が本当か分からない美談。
延々と繰り返される単調なリズム。
普段なら旋律を担当することの多いバイオリンやフルートが延々とリズムを担当している。
中高でブラスバンドを経験したお陰でオーケストラの中で鳴っている全ての音色を判別出来る能力がボレロには適用されないほど無茶苦茶なテクニックを課しているパートが存在する。
例えばそれは下記の③や⑨。ファゴットは異様に高い旋律を任されているのでオーボエかイングリッシュホルン(コーラングレ)だとずっと錯覚していたし、パイプオルガンにしか聞こえないピッコロ・ホルン・チェレスタの不思議な組み合わせも聴いていて何度も気分が悪くなった。
また、⑦や⑧のテナーサクソフォン・ソプラノサクソフォンが神聖なオーケストラの中に堂々と、それも旋律を吹いている事や、⑪のトロンボーンがヒャーンとグリッサンドで吹くのもジャズじゃねえんだから!と蒼き青春時代には許せなかった。
しかし、今では上記全てが愛おしい。⑬でようやく旋律を弾かせて貰える第一ヴァイオリンや、ブラスバンドのみならずオーケストラの中でさえ低音の四分音符しか吹かせて貰えないバスクラリネットを観ていると何だか泣けてくる。
あぁ、やっぱり生で観ないとダメだ。近々オーケストラを聴きにコンサートに行こう。本当はゲルギエフを聴きたいがプーチン支持者故に総スカンを喰らっている現状では中々難しいだろう。素晴らしい芸術家がその真価を存分に発揮し続けられる世の中になることを祈るばかりだ。