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ヒエロニムス・ボスの作品を巡って 7

三賢王礼拝の大間違い

 この作品、一見、平凡にみえます。しかし、ヒエロニムス・ボス作品のなかで、注文主、制作年代などが最も正確にわかっている作品です。
注文主:アントワープの大物の織物商人 夫婦:Peeter Scheyfve(ー1506)とその妻Agnes de Gramme(ー1497? )
制作年代:1494年ごろ(1493年~1497年の間であることは確実)
サイン:あり
 もちろん、真作疑いありません。

ヒエロニムス・ボスの「三賢王礼拝」プラド美術館のサイト
https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/the-adoration-of-the-magi/666788cc-c522-421b-83f0-5ad84b9377f7

この作品、古い本では「ブロンクホルスト・ボシュハイゼ祭壇画」とも呼ばれ、注文主がピーター・ブロンクホルストPeter van Bronchorst とアグネス・ボシュハイゼAgnes van Boschuysenだとされておりました。しかし、実はこの2人は、存在していませんでした。
 この大間違いが、なぜ起こったのか? 一言でいうと「文献に記載された他の祭壇画(現在は亡失?)と間違えた」のが原因です。1567年、ブラッセルで、アルバ公が反乱諸侯の財産を没収したとき、Jan Casembrootから没収した財産目録に、

>Bronchorst と Boschuysenの紋章が外側にあるボス作の三賢王礼拝の祭壇画

というのが記録されています。
  現在プラド美術館にあるこの作品が、この記録にある祭壇画だと考えたのが誰だかは、よく知らないのですが、20世紀では常識になってました。カール・ユスティが1899年に論文書いたとき、既に間違っていたようです。もう100年以上間違っていたんですね。
 ピーテルとアグネスという名前は絵に描いてある守護聖人から推定されたものです。左が聖ペテロ(ピーテルまたはピーター)、右が聖アグネスですからね。
 ただ、紋章が外扉に描かれているという点が違うので、ここは、記録の間違いだろうと解釈されていたのです。ところが、2001年のロッテルダムのボイマンス美術館におけるボス展の際、当時ベルギーのナミュールにいた研究者 Marianne Rensonが、系図や紋章をよくチェックしたところ、ブロンクホルスト家とボシュハイゼ家にはそういう人物はおらず、紋章も全然違うというということがわかってしまいました。紋章も該当する家がみつからず、この2人が誰なのか全くわからなくなったという重大な疑義が提起されました。
Marianne Renson, Genealogical Information Concerning The Bronchorst Boschuysen Triptych, 2001, Rotterdam
  しかしながら、紋章などの系図学の研究者 Xavier Doquenneが2004年にフランスの系図学の雑誌(地味過ぎる!)にそっと出した論文によって、この2人の素性が明らかにされたのです。ブロンクホルストでもボシュハイゼでもなかった。古記録にある祭壇画とは違ったものでした。更に妻アグネスの結婚と逝去の年代から、この作品の制作年代も明らかになったのです。
Title: La famille Scheyfve et Jérôme Bosch
   Author: Duquenne, Xavier
   Genre: Nonfiction, art history
   Release Date: 2004
 Source: L'Intermédiaire des Généalogistes, nr. 349 (January-February 2004), pp. 1-19

 ただ、そういう地味な雑誌に発表されたせいか、英語での紹介も遅かったようで、10年後ぐらいでも、まだ知らないで日本語解説を書いていた人もいたようです。古い本読んで混乱する人もいるでしょうし、プラド美術館のサイトには、この事情が書いていないし、新しい本にも書いていないことが多いので、あえてここに書く次第です。

 

更に、外側に描かれたグリザイユの宗教画の端にここだけ彩色で描いてある2人がいます。立っている年配の男性と跪く少年です。この2人がだれかという問題も議論されていますが、少年は2人の息子であるJan Scheyfveであることは意見が一致していますが、年配の男のほうは、夫の父Claus Scheyfve という説と、妻の父Peeter de Grammeという説があります。
 当方の想像では妻の父のPeeter de Grammeではないか?と思います。というのも妻アグネスは結婚後5年ぐらいで逝去し、夫は再婚しています。こういう祭壇画は一家の墓所である教会の礼拝堂か、邸宅内の私的礼拝堂におくものでしょう。再婚した新妻としては、礼拝の都度、前妻の顔をみるのもいかがなものか? そういう問題で前妻の実家がひきとったのではないかと思います。この2人の肖像は、かなり技量が劣るようですから、ひきとったあとでアントワープの現地の画家が付け加えたのではないか?と思います。おそらくは、Peeter de Grammeは、少年の後見人的な立場にあったのではないか? 実際グラムPeeter de Grammeもアントワープの財界では大物だったようです。

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