『ふくわらい』(西加奈子)と他人 #読了
日々の読書に感想を。そんな気持ちで読了note。
~人間の存在というものは、狂気なしには理解され得ない~
( J.ラカン / フランスの哲学者、精神科医 )
他人を理解することは難しい。なぜならそれぞれがズレているから。
西加奈子の『ふくわらい』を読了してみての感想は、そんなテーマを起こさせる作品だった。
作品について説明しておくと、作者・西加奈子は『あおい(2004)』『きいろいゾウ(2006)』『サラバ!(2014.第152回直木賞)』などが知られ、“いい話”が特徴だ。
だから読んでみて欲しい。要約では物語の“いい”が伝わらないから...。
また本作品は第148回直木賞候補、第12回本屋大賞2位。そして、「人のこころを支えるような物語をつくり出した優れた文芸作品(Wikipedia)」を表彰する河合隼雄物語賞の第1回大賞に輝いている!!
ちなみに、河合隼雄(1928-2007)は日本の心理学者の大ボスの一人(ゾーマくらい)。
※なんだかんだ、プロフィールに載せている「臨床心理学科卒」の経歴が初めて活用できる記事な気がする...。
1.登場人物とあらすじ
主人公:鳴木戸 定(なるきど さだ)
幼いころから病弱で、福笑いが好きな女の子。感情が表情にあらわれず、常に冷静で淡々とした物言いをするので、「まるでロボットみたい」と称される。
幼い頃からふくわらいが好きで、他人の顔をじっと見て、頭の中でパーツごとにバラして組み立てたり、「あるべき場所」にずらしてみたりする空想が癖になっている。伴って他人の顔は部品の集まりとして記憶・区別しがち。
紀行作家の父と世界中を旅しており、父亡き後も一人旅に出た。その際、各国で入れ墨を入れており、様々な生きものが鮮やかに彫られている。
物語の大部分は大人に成長した定。編集者として働くキャリアウーマンとして描かれる。
なお、名前の由来はもちろん。作家・マルキ・ド・サドである。
定の父:鳴木戸 栄蔵(なるきど えいぞう)
世界のあちこちを旅し、その体験を著す紀行作家として有名。旅の中で、ワニに襲われ死去。著書『大河紀行』はある事情で発禁処分になっている。家には彼の旅先コレクション部屋があり、部族の仮面や呪術的な品々のほか、さまざまな爬虫類のホルマリン漬け・剥製などの死骸に溢れている。
男その1:之賀 さいこ(これが さいこ)
定が担当する作家の一人。「生首をリフティングする。それ以外のラストはありえない。」「雨が晴れないと作品が書けない。原稿が欲しいのならばこの雨をやませてください。」「あなたたちは書かないんだ。」など作家活動についての拘りが強い。
同僚:小暮 しずく(こぐれ しずく)
定の一年あとに入ってきた新人編集者。ぱっちりした目と、少女のような唇から「美しすぎる編集者」としてテレビに出たこともある。彼女を指名する作家もいるほど。しかし、二股を掛けられたあげくフラれてしまうなど、男運は悪い。
男その2:守口廃尊(もりぐち ばいそん)/守口譲(もりぐち ゆずる)
定が担当する作家の一人、同僚曰く「面倒くさい」。元・プロレスラーで、当時は暴力的な奇行が目立つ、反面ファイトスタイルは地味。そのときの怪我で、顔のパーツが凹んでいたり曲がっていたり崩れている。
カフェの打ち合わせ中に平然と、性器や排泄物、エログロナンセンスな会話をし出すなど破天荒な言動が目立つ。
レスラー時代に自身が鬱(精神病者)であることを公表し、解雇後も入退院を繰り返す。
男その3:武智 次郎(たけち じろう)
定が駅で助けた盲目の男。イタリアと日本のハーフで、ラテン系の顔とエメラルドグリーンの瞳が美しい。定と初めて会った時から「絶対美人だ」と言い続けて、何回もデートに誘い出そうとする。
あらすじ
定は、紀行作家の父・栄蔵と片目の見えない祖母に育てられた笑顔の少ない女の子。普段はまったく笑わない定が、唯一笑顔で楽しめたものが「福笑い」だった。
25歳になった定はOL(出版・編集社)で、同僚の小暮しずくらとキワモノな作家を担当していた。会社でも笑顔の少ない、かつ淡々とした関わり方な彼女は、父との生い立ちも含めて少し有名であった(特に他人の声が一切聞こえてないかのようにPCに向かう姿は「定時間」と呼称された)。
あるとき、定が担当することになったのは、プロレスラーの経歴を持つ歪んだ顔と性格の男・守口廃尊だった。定は、彼が試合でケガを負う前の整った顔立ち=顔のパーツが「あるべき場所」にある顔を一目見たときから、ずっと彼の存在が気になってしまう。
それから定と守口は打ち合わせを重ねると同時に、お互いについての会話を重ねた。あるときは守口が定に、あるときは定が守口に。その多くは、喫茶店で周りの客が迷惑がって二人に嫌悪の目を向けるまで続く対面だった。
特に守口が関心を寄せたのは、定の父・丸木戸栄蔵についてだった。
彼の“ある理由”で発禁された紀行文の体験について定に尋ねる。
「なあ、食ったの?」
定は変わらず、淡々と答えるだけだった。
「食べました。」
此賀の無茶な願いのために、とある部族の雨乞いの儀式をしっかりとやり遂げるなど、仕事を変わらずに勧める定はPCの壁紙を守口の写真にしていた。
「大切な著者さんですので、お顔を忘れないようにしようと思いまして。」
そんな中で、定が出会ったのは駅で迷子になっていた盲目の男・武智次郎だった。イタリアと日本人のハーフである彼は、助けてくれた定の名前を聞いて「絶対美人だ。」と確信をもって、彼女へ猛アピールを始める。しかし、定にとってはデートも、男性との関係も、ロマンチックな雰囲気も、キスも、武智が鼻息を荒らしてよく言う「先っちょだけ...」も、どういう意味なのか分からなかった。
守口が試合のケガで入院しただけでなく、無許可で退院したと連絡が入った頃、定の電話が鳴った。相手は守口で、家に来て欲しいと懇願していた。
「ガングリオン潰したんだ。」
家で待っていた守口は、手首から血を垂らしていた。定は連載が終わること、体の具合のこと、ただ守口に会いたくてきたこと。淡々と口にする。
彼が定を呼んだのは、ただ怖くなったからだった。
そして守口は、今まで抱えていた自身へのプレッシャー、強がって見せたがる自分の弱さ、ほんとうに自分はプロセスが好きなんだということ、などを定と向き合って語った。正直に。
そして定も守口と向き合って、いままでの自分のこと、いままで背負ってきた過去(父との旅)のこと、いままで他人の顔について思ってきたこと、いままでよく分からないことばかりだったこと、定の淡々とした口調で語った。正直に。
気がつけば定は嘔吐していた。その感覚すらも、よく分からないのに。
守口は何も言わずに、静かにそこにいてくれた。
「守口さんの原稿、素晴らしかったです。」
「そうかよ。」
「私、全部覚えているんです。今、そらで言いましょうか。」
「やめろよ、もっかい手首切るぞ」
「ガングリオンですよね。」
「……。」
「ガングリオンですよね、守口さん」
「そうだ、ガングリオンだ」
「ガングリオンを潰した。」
「ガングリオンを潰したんだ。」
そのあと、定は守口に誘われ試合観戦をした。そこにいたのは、一人のプロレスラー、傍若無人に振る舞う姿と崩れた顔の守口廃尊そのものだった。試合が終わるまで、定はその顔と姿をじっと見ていた。そして声を上げていた。
定は、よく笑うようになった。
久しぶりに打ち合わせをした之賀さいこからは「丸木戸さんが、恋を......」と動揺されたが、今の定にはしっかりと答えることが出来た。「はい。恋、的なものを」。
定は武智とデートをしていた。先っちょだけのお礼に、定が持ちかけたのは新宿の通りを歩くことだった。相変わらず、「美人だ」と繰り返す武智だったが、定はしっかりと答えていた。「はい、美人です。」
定は服を脱いだ。全身には、紀行の中に世界各地で入れた様々な生きものたちのタトゥーが、極彩色に描かれていた。
盲目の男と、彼の手を取る全裸のタトゥー女性、ふたりはただ楽しそうに歩いていた。
それをみている周りも、いつの間にか、この幸せな恋人たちを、もう少し、歩かせてあげたくなった。
2.定の他人の捉え方
主人公・定は、他人の言動が「何を意味することなのか」「何を考えて行っていることなのか」かが分からない。特にそれは、武智とのあいだで顕著に表れる。彼が定に向けている“性じみた愛着行動”は、理解しえない意味不明な行動でしかない。
また、他人の言った言葉の意味が分からないがために、その言葉通りのまま実行しようとするのも特徴的だ。
(雨を降らせてという冗談じみた無理難題を聞けば、雨乞いの儀式をする。「(父親を)食ったの?」というイレギュラーな質問も、普通の質問と同じように、当たり前に返答するなど)
また、他人の表情についてもそれが意味することが何なのか分からない。
いや、正確には定は他人の表情を意識してみる時はない。彼女が興味を向けているのは「他人の顔パーツとその位置」だけだ。まるで大好きなふくわらいと同じように、イジりたくなる対象でしかない。
こうした定の「少し特殊な他人の捉え方」が、本作品で注目できた部分だと思う。
臨床的な言葉を使うなら、これは「自閉症」に似ていると思った。
空気を読んだり、場を読むことが苦手であり、同様に発言の意図を汲むことも得意ではない。そのため、他人とのコミュニケーション、特にやりとりが他の集団に比べて「言語的にストイック」「非共有的に展開する」「本心をうまく表出しづらい」のである。
ではこの作品は、そういった人物のズレた感性を描こうとしたために『河合隼雄物語賞』に選ばれたのか?違うだろう。
『ふくわらい』が描こうとしたのは、われわれはズレた関係で他人とつながっているということだろう。
私たちが他人について思っていること、他人について理解していること、その方法は、共有することができない。
それはズレている。
個人それぞれの形を持っている。
自分が他人について思っていることを、必ずしも相手が思ってないように、自分が思ってなかったことを他人が教えてくれたりする場合がある。
相手の気持ちや考えを把握することの難しさは、みんな知っている。ので、表情からくみ取ろうとしたり、会話を重ねたり、手をさしのべたりするなどで解かり合おうとしている。
相手がどんな人物なのかを完璧に分かるときはないけれど、自分にとってどんな人物かを作り上げることで、他人とのズレを無くそうとする。
それが、人間関係の在り方なんだと思う。
ズレているから分かろうとするのだと思う。
ズレているから、他人でいてくれるんだと思う。
定の感性は、もしかしたら「ズレている」という感覚を与えるかも知れない。彼女も、読者にとっては他人だ。
だがしかし、彼女が他人の顔パーツをズラしたり、その変化に注目する。それは私たちが、相手を分かろうとするために表情からくみ取ろうとすることと同じだと言えるのではないか。
彼女が他人で「ふくわらい」を始めたとき、「正しい位置」にパーツを置こうとするのも、落ち込んだり塞ぎ込んだ表情をした相手を、その人らしくいる時(前向きな気分の時)みたいな表情に変えてあげたいと思うことと似ているのではないか。
もし定が「自閉症」的な特性であったとしても、そこに何の違いがあるだろうか。
私たちは、みんなズレている。それでいいのだ。
この作品は、そう教えてくれた。
〆