欲求は満たす順番が大切
人には何かを求めたり、欲しいと感じたりする欲求があります。
ご飯が食べたいという物理的な欲求もあれば、人とつながりたいという社会的な欲求もあります。他にも、成長や自己実現といった高次の欲求もあります。
一言で欲求と言っても、たくさんの欲求があるんです。こんなさまざまある欲求ですが、満たす順番が大切だと言われています。
「マズローの欲求5段階説」という言葉を聞いたことがある人も多いと思います。5段階のピラミッドみたいになっている図で表されていて、下から順に次のようになっています。
生理的欲求
安全の欲求
社会的欲求
承認欲求
自己実現欲求
これらの欲求ですが、一番下の生理的欲求から順番に満たすことが大切です。
生理的欲求というのは、人が生きていくための基本的で本能的な欲求のことです。ご飯が食べたいとか眠いとかトイレに行きたいとか、そういう欲求のことです。
まずは、生理的欲求を満たすことがいちばん大事です。たしかにそうですよね。睡眠不足で眠くて仕方ないときに、「夢を叶えよう!」って頑張ることはできません。お腹を下してトイレを我慢しているときに、人とつながりたいなんて言ってられません。
ただ、人が普通に生活していれば、生理的欲求が満たされないということはほとんどないはずです。生理的欲求が満たされると、次の安全の欲求の段階になります。
安全の欲求というのは、心身ともに安心安全に過ごしたいという欲求です。安心できる住まいだったり、心と体の健康だったり、経済的な安定だったりします。
たまにニュースでご近所トラブルとかやってますが、それはこの安全の欲求が満たされない状態になっています。家でリラックスして落ち着きたいのに、些細なことでお隣さんからクレームを突きつけられるのは相当なストレスです。
実際にご近所トラブルで引越しを余儀なくされた人もいると思います。引っ越しは大変ですが、安全の欲求を満たすためにはやむを得ないこともあります。それくらい人は安全を強く求めるということです。
安全の欲求が満たされることで、次の社会的欲求を求めるようになります。人とつながりたいとか、集団に所属したいとか、仲間が欲しいとか、友だちから受け入れられたいとか、そういった欲求になります。
社会的欲求が満たされないと、孤独や不安を感じやすくなります。人は1人では生きていけません。人とつながりたいという欲求は大きなものです。
人とのつながりを感じられると、今度はそのつながりの中でもっと注目されたいとか、褒められたいとか、そういう欲求が生まれます。それが承認欲求です。
承認欲求って、ネガティブに使われることも多いですが、人が生きていくためにはやっぱり必要なものなんですね。
承認欲求が満たされることで、はじめて5段階目の自己実現の欲求を求めるようになります。 なりたい自分になるとか、起業したいとか、ライフワークを生きたいとか、そういった欲求になります。
自己実現の欲求を求めるには、その前の生理的欲求から承認欲求までの4つの段階を満たしてないといけないんですね。そうでないと、自己実現といいながら、本当は人とのつながりを求めていたり、人から認められたいと思っていたり、実は社会的欲求や承認欲求を求めていることになります。
ライフワークを生きたいって思いながらも、ライフワークに向かって集中できなかったり、思うような成果が得られていないときは、もしかしたらその前段階のどこかの欲求が満たされていないのかもしれません。
ちなみに、自己実現の上位にさらに6段階目の欲求として「自己超越欲求」というのもあるそうです。自己実現をした人が、世のため人のために寄付をしたりボランティアをしたりするのは、この自己超越欲求によるものかもしれません。
自分は今どんな欲求を満たそうとしていて、どこまで満たされているのか、これを冷静に考えるのは意外と重要な気がします。