出し惜しみしないで自分を空っぽにする
今まで教わってきたことや気づいたこと、身につけて来たスキルを出し惜しみしないで全部出し切る。自分の中を空っぽにする。そうすることで新しいことが入ってくるスペースが生まれます。
そうやって、学びや気づきやスキルを分かち合って循環させていくことが僕の理想なのかもしれない。循環していくなかでより洗練されて行く感じです。最近そう思うようになりました。
せっかくnoteを始めたので、そうやって使えたらいいなと思っています。じゃあ実際はどれくらい出しているんだろう?出し切っていると言えるのだろうか?
とてもじゃないけどそうは思えない。たぶん教わってきたことの10分の1どころか、100分の1も出していないのではないでしょうか。
改めて思うとかなりもったいなく感じます。それなのに書くことが思いつかないなんて言って、日々頭を悩ませているのだから我ながら情けない(笑)
とはいえ、教わったことを書き出すってなかなか大変です。学んだテキストをそのままコピペってわけにはいきません。僕のフィルターを通して僕の言葉で伝える必要があります。
それに出し惜しみしないで出すって感情的にも負荷がかかるような気がします。全部出し切ったのに何も返って来なかったらどうしよう。怖って感じます
循環させたいって思いつつも、どこか循環することを信じていない僕がいるみたい。僕が受け取る前で循環は止まってしまうのではないか?という漠然とした不安を感じます。
結局、出し惜しみしないで出すとか偉そうなことを言いながらも、受け取ることしか考えていないのかな?書いていて自分が嫌になってくる。おかしいな。もっと前向きなことを書くはずだったんだけど。。
まあ出し惜しみしないという意味では、こういった心の葛藤をそのまま書き出すのもありかもしれない。読んでいる人が楽しいかどうかはともかく。
大抵の場合、終わりよければすべて良しとなります。最後は前向きな言葉で終わらせよう。そもそも理想と現実にギャップがあるのは当然です。そのギャップを埋めるところに成長があると思います。
そのギャップはすぐには埋まらないんです。noteを書き続けることはそのギャップを埋めるための行動であり、僕が教わってきたことを出し惜しみなく伝えるための手段なんですね。
最初はもっと気軽な気持ちでnoteを始めたような気がしますが、続けて行くと変わって行くものですね。変わって行くというよりは、洗練されて行くと言った方が正確かもしれません。
書くというのは自分の内側を深掘りすることだと思います。おもしろいことにポジティブなこともネガティブなこともいろいろ出てきます。
ポジティブもネガティブもどっちも出すということが、出し惜しみしないということになるのかもしれないですね。