あまりのわかりにくさに感動しました(笑)
うまい文章が人を感動させるとは限らないんですね。今日、仕事上の問い合わせメールがあまりにもわかりにくくて感動しました(笑)。
一般的にわかりにくさはイライラや怒りを感じさせると思いますが、度を超えると感動するんですね。知ってました?
たった2行のメールなんですが、何を聞きたいのかがさっぱりわからないんです。読んでいくと、脳が混乱するのがはっきりとわかります。
人は文章を読むと、文脈の流れを自然と想像するものです。このわかりにくさ全開のメールは、未来のことを聞いているのかな?と想像させておいて、なぜか今現在の話しが出てくるんです。ここで、「あれ?」って違和感を感じます。
さらに、本当に聞きたいことは「誰が?」なんですが、文章が変に丁寧なので、「どちらですか?」と書いてあります。しかも、その直前にAとBと2つの場所が出てくるんですね。「ん?AかBか場所を聞いてる?それとも誰がを聞いてる?」もう、脳が溶けそうです。
文章はたった2行なのに、至るところに伏線が張り巡らせてあるんです。ツッコミどころ満載です。ツッコミだけで、1,000文字は余裕に書けると思います。これってすごいことです。
わかりにくい文章って、長々と書いてあるイメージがありますが、この文章はたったの2行でまとめられています(まとまってはいませんが・・・)。
例えるなら、俳句でしょうか。俳句って5・7・5のたった17文字で表現します。その17文字の奥には、読み手の想像力をかき立てる作者の意図が込められています。僕は詳しくないので、俳句を読んでもそこまで理解できませんが、説明を聞くとたしかに17文字の奥にある世界を感じられます。
今日のわかりにくさ全開のメールも、それに近いものを感じました。ある意味、芸術品かもしれません(笑)。ここ最近でいちばん感動したかも・・・
文章で人を感動させるのに、うまく書く必要はないんですね。うまく書いてある文章ってたしかに読みやすいし、わかりやすいです。それはそれで、親切な文章なんですが、印象には残りにくいかもしれません。どこかで、「ん?」と違和感を感じるようなフックがあると、印象に残りやすくなります。
僕は水が流れるかのように論理が流れていく、わかりやすい文章を書きたいってどこかで思っていたような気がします。きっと、「この人頭良い!」とか「わかりやすい」とか、そんな言葉をかけて欲しいというエゴが僕の中にあるんでしょう(笑)。
だけど、人を感動させるのに、そんな論理はなくてもいいのかもしれないです。あまりかしこまって書いても楽しくないし。良い勉強になりました。ほんと感動したなー。