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「天守閣を後世まで残す」という判断を明治の人がするのは無理があるという話

日本全国にはかつて城下町だった都市が数多くあります。

そのような都市を訪れたときは「お城」に行くのが一つの楽しみですが、お城といっても松本城や熊本城のように立派な天守閣が建っている城もあれば、残っているのは石垣ぐらいで建物は一切残っていない「城跡」もあります。

天守閣も熊本城や会津若松城のような有名な城でも戦後に再建されたものが多く、外観は天守閣ですが中身は近代的なビルです。

江戸時代以前に作られた天守閣(現存天守)が残っている城は姫路城、松江城、松本城など全国で12ヶ所しか残っていません。

多くの城は明治6年に出された廃城令によって天守閣や本丸御殿が取り壊され、再建されないまま今日を迎えています。

今回の旅行で訪れた都市にもお城がありましたが、立派な石垣は残っているものの天守閣は残っていませんでした。

もしここに現存天守が残っていれば観光名所として大きな経済効果が期待できるので、つい「何であの時天守閣を壊してしまうんだよ!本当もったいない・・・」と思ってしまいます。

ただそれは「今」だから言える話で、当時は「残す」という判断はむしろ合理的ではなかったからみんな「壊す」という判断をしたと思います。

別の都市にある城で江戸時代末期に撮影された天守閣の写真を見たことがありますが、それはもうボロボロの状態でさしづめ巨大な廃墟という感じでした。

現代の人間から見れば魅力的な天守閣も当時の人にしてみれば珍しくもなんともないと思います。

こんなボロボロの廃墟がまさか100年後に重宝されるとは夢にも思わなかったことでしょう。

たぶん今の感覚で言えば「老朽化した市役所の庁舎を取り壊すか残すか」という話に近く、珍しくも何ともない市役所の庁舎を見て私も「後世のために残しましょう」なんて1ミリも思いません。

よほどその建物に思い入れがある人でもない限り、私財を投げ打ってでも保存しようとは思わないので、当時の人が「壊す」という判断をしたのは極めて合理的であったと言えます。

ただ後世の人がどう思うかは分かりません。

今の時代の基準では全く価値がないようなものでも後世に残すことによって莫大な価値を生み出す可能性もあります。

そして「残す」という判断は理屈を超えたところにあるので、合理的に考える人にはなかなかできません。

そんなこともあり、今では合理性ゼロの「情緒的な判断」もあまりバカにはできないと思うようになりました。

歴史を振り返っても案外そのような「好きだから残す」という情緒的な判断が人類の貴重な遺産を後世に残してくれているので、日本全国12ヵ所の現存天守を残してくれた先人に改めて感謝したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。