人を指導するうえで「成功体験」は却って仇になることがあります
気になる記事を見つけました。
某高校サッカー部で起きたコーチによる体罰事件に関連したものですが、体罰事件を起こす背景には指導者自身が体罰を受けて「精神的に強くなった」と感じており、その成功体験から「体罰は必要」と思っていた可能性があるということです。
この記事を読んで率直に「やっぱりそうか」と思いました。
というのも職場における不適切な指導(体罰はなくても部下や後輩を潰してしまうような指導)を見ていると、指導者のスキル不足や経験不足が原因というよりも、むしろスキルも経験もある指導者が自身の「成功体験」に引きずられ、相手に合わない指導方法を押し付けてしまうケースが多いからです。
例えばこんな事例です。
この事例では不幸な結果になってしまいましたが、答えを教えない指導法が悪いわけでも、自分で考えようとしない部下が悪いわけでもありません。
このマネジャーには合っていた指導法が、たまたまこの部下に合わなかったというだけのことです。
もしこのマネジャー自身が「上司や先輩が答えを教えてくれないことで自分が成長できた」という成功体験が無ければ、もしかしたら「あれ?この部下には答えを教えたほうがいいかも」と思って指導法を変えた可能性があります。
人はそれぞれ個性もタイプも異なるので、99%の人にとって効果のある指導法はあっても、100%の人に合う指導法は存在しません。どんなに効果的な指導法でも、当てはまらない人は存在しています。
しかし、「この方法でうまくいった」という成功体験が強ければ強いほど、そこから脱却するのが難しくなります。
そういう意味では、人を指導する立場にある人は自分自身の成功体験を一度手放したほうがいいかもしれません。
自分はこの指導法で成長できた ⇒ 自分にはたまたまこの指導法が合っていた
この指導法で相手を成長させた ⇒ その相手にはたまたまこの指導法が合っていた
という形で振り返ると、いざ指導してみてうまくいかないときは「やり方を変えてみよう」ということができます。
余談ですが、指導者としての経験が全くなかった日本ハムファイターズの新庄BIGBOSSが若手選手の力を次々と引き出しているのを見ていると、力量の低い相手を成長させようと思ったら案外指導経験がない人に任せた方がうまくいくのではないかと思っています。
成功体験が無い分、相手に合わせて柔軟に指導方法を変えることができることが最大の強みですので。
今回もお読みいただきありがとうございました。