正解がない問題で「いいから答えを教えて」と言われたらどうするか?
学校の授業も企業内の研修も基本的には教える側が何らかの「答え」を持っており、答えを知らない側に伝えるというパターンが多いかと思います。
例えば新人にビジネスマナーや業務のやり方を教えるときも基本的にこのパターンですが、そうなると当然教わる側の人は”先生”や”講師”や正解を教えてくれると期待してきます。
ところが「他人との信頼関係をどう構築するか?」や「人をどう育てるか?」といった問題は100人いたら100通りのやり方があるように、社会人としての経験を積んでくるといわゆる「正解のない問題」にたくさん遭遇することになります。
(「正解のない問題が本当に存在するかどうか」という問いについては後で述べたいと思います)
そのため、私どもが研修を行うときも「こういうことに気をつけましょう」という原理原則をお伝えすることはできても、「こうすれば必ずうまくいく」という正解をお伝えすることはできません。
あくまで原理原則を知っていただいたうえで、それぞれがご自身の職場で活用していただくというスタンスです。
とはいえ、これでは納得することができず、「答えを教えてほしい」と求めてくる受講者の方も一定数いらっしゃいます。
このときに「いやいや、これは正解のない問題なのでご自分で考えてください」なんて言ってしまうと、その瞬間から二度と話を聞いていただけなくなりますので、講師としては何らかの回答が必要です。
私の経験上、答えを求めてくる方には大きく2つの理由があります。
1つ目は「実務で困っている」という方
私が出会った正解を求める受講者のほとんどがこれに当てはまります。
この方々は「目の前の問題を何とかしないといけないが、現状どうにもならない」ということに悩んでいるため、原理原則だけ言われても「こんなの役に立たないよ」と感じてしまいます。
こういう場合、私ならご本人が今どのようなやり方を取っているのか確かめた上で、絶対の正解ではなく本人が考えていなかった方法を選択肢として提示します。
例えばこんな感じです。
この方法は受講者の問題解決に直接つながるとは限りませんが、少なくとも現状を変える糸口にはなりますので、ご納得いただけるケースが多いです。
2つ目は「どこかに必ず正解はあるはずだ」と考える方
これはレアケースですが、世の中には「何事にも正解はある」と考える方もいらっしゃいます。
私とは相性は良くないのですが、この考え方自体はあってもいいと思います。というのも、科学者は「どうせ正解などないので何でもいい」では困るので「まだ見つかっていないだけで、どこかに必ず正解はある」という姿勢で探求することが求められるからです。
そのため、冒頭では「正解のない問題が存在する」という前提で書いていますが、「正解のない問題が本当に存在するか」問われると「ない」と言い切れる自信はありません。
「人の問題には正解などない」とは思っているものの、もしかしたら宇宙のどこかに真理が存在している可能性も否定できない自分がいます。
もし研修の場で「正解のない問題はない」と考える受講者に出会った場合、「申し訳ないが、正解が存在していたとしても、今の私にはわかりません」と正直に伝えた上で、むしろ相手に教えを乞う姿勢でどのようなことを考えているのかお尋ねします。
「正解があるのかないのか」についてはその場で答えが出ることはまずありませんが、相手の考えを引き出すことでたまに自分にはなかった視点に気づくこともあります。
相手が満足する答えを講師として提示することはできませんが、一緒に探求する姿勢を見せることである程度の信頼関係を保つことはできます。
安易に答えを求める姿勢を諫める声もありますが、個人的には「答えを求めたがる人」が居てもいいと思います。ぶつかり合うことで結果的に互いの視野が広がればそれはそれで大きな学びになるのかもしれません。
今回もお読みいただきありがとうございました。