クールヘッドとウォームハート
児童指導員として、知的障害児入所施設で働いていた頃、社会福祉士の資格取得を目指すことにしました。
10年以上前のことなので、記憶は不確かですが…社会福祉士の通信講座を受講し、スクーリング中のことです。
ある講義で、「福祉職には、クールヘッド(冷静な頭脳)と、ウォームハート(温かい心)が必要」という話を聴きました。
今、改めて「クールヘッドとウォームハート」について調べてみると、それは経済学者マーシャルの言葉で、福祉職限定のことではないことがわかりました。
⬆️Wikipediaよりお借りしました
しかし、私は、ずっと福祉職に必要なことと捉えて、「クールヘッドとウォームハート」を意識してきました。
福祉の世界に足を踏み入れる人は、「困っている人のために働きたい」という情熱を最初から抱いていることが多いように思います。そのため、「温かい心」が必要なことはすぐに共感できました。
しかし、冷静な頭脳とは、どういうことなのだろう?
情熱と勢いで走り続けて、燃え尽き症候群になってしまう前に、自分を客観視せよ!ということなのでしょうか。
教育学部出身の私が福祉の現場で働くことになったのは、24歳のとき。知的障害児の支援(当時は援助と言った)をするのが仕事でも、何の原理原則も知らないまま、勤務スタートしました。
保育士や児童指導員の先輩の行動から、「習うより慣れろ」状態で学ぶ日々。正直、先輩たちの児童への接し方が冷たいものに見えました。
入所施設という集団生活の場なので、児童ひとりひとりの要求が通りにくい状況。
「私はできる限り、子どもたちの要求に応じてあげたい」と、思ったものです。
しかし、やがて、私の情熱だけの行動は、自分の怪我や児童の怪我という、「安心安全」を脅かす結果につながってしまいました。
そして、保護者の方との関わりでも失敗をしました。保護者の秘密を上司には報告しましたが、チームで共有をせず、ほぼ一人で抱えてしまいました。結果的には、それが自分の心身の傷につながってしまったのです。
先輩たちの児童への関わり方が冷たいように見えた理由のひとつは、先輩たちが行動療法(応用行動分析、ABA)の理論と技法をベースにしていたことでした。
私が児童指導員に採用されてすぐの頃、ある児童が指先から血が流れているのを見せに来ました。私は、驚いて、すぐに救急箱を出して、傷の手当てをしました。
すると、それを見ていた先輩保育士が「自分でやった傷は手当てしませんよ」と、私に聞こえるように、その児童に言ったのです。
その児童の「かまって欲しい」という気持ちが自傷という不適切な行動で表現されたので、行動療法としては、無反応で不適切な行動を消去していくのが正しい対応だと、しばらくして知りました。
また、被虐待児との関わりも難しかったです。私のことを慕ってくれる児童のことを「可愛い」と思い、ストレートな愛情表現にストレートに反応していた結果、その児童が他の児童に嫉妬するようになってしまいました。そして、集団の中で、その児童の不適切な行動がどんどん増えてしまい、私が感情的に叱った結果、他の児童が怪我をおうという最悪の結果になってしまいました。
「かまって欲しい」という気持ちを自傷という行動で示した児童にも、被虐待という経験から愛着障害を合わせもっていたと思われる児童にも、「可哀想」や「可愛い」という自分の感情を優先して接していたことが失敗に繋がったのでしょう。
支援者として、対象児者に関わるとき、その関わりは意図的なものである必要があります。対象児者の行動に対して「なぜ、その行動をするのか?」と、客観的に冷静に分析した上で関わるべきだと思います。また、それは個人プレイではなく、チームプレイであるべきです。
支援者も人間ですから、対象児者と関わるうえで様々な感情が湧くと思います。その感情に引っ張られて対応していたら、対象児者は支援者に振り回されてしまいます。
児童指導員時代と息子(知的障害+自閉スペクトラム症)の育児を合わせて20年、知的障害児と付き合ってきました。
その途中で出会った「クールヘッドとウォームハート」という言葉。
知的障害だけでなく、身体障害や精神障害のある方々とお付き合いするようになった今、知っていて良かった!と実感する日々です。