売られても買わない。
よく「売られた喧嘩は買う」とか「恨みを買う」などという言葉が日本語にはあります。
他にも「反感を買う」や「冷笑を買う」など、日本語にはありますね。
しかし、売られたものは買う性格は、損をするわけです。
喧嘩口調についつい乗せられて、冷静さを失うとか、
なぜか人から恨みを買ってしまうんです、なんて話をききます。
もちろん、自分自身にも見覚えもあります。
「恨みを売る」という日本語は耳にはしないものの、
他人様から恨みを持たれるというのは、勝手に押し付けられているものを
買わされているので、恨みを買うという表現なのでしょうかね?
ここは調べてもあまり出てこないので、よく知りませんが。
私は、案外心配性の神経質なものですから、人の言葉のはしはしが気になるタイプです。ちょっと表現に嫌みが籠っていたり、喧嘩をけしかけているような言い方が気になって仕方なくなり、挙句の果て頭の中でその言われた言葉がリフレインしてしまう方でした。特に仕事でのトラブルやスタッフ間のコミュニケーション不足による問題解決を、どうおさめようかと模索しているうちに、いつの間にか自分自身が理不尽な言葉を浴びてしまうこともあるわけです。
しかしある出来事と、とある和尚さんの説法を聞いてから、はたと気づいたのです。「そうか、売るのも勝手、買うのも勝手。ならば買わなければいいだけのことなのだ」と心の底から腑に落ちた時があったわけです。
「買う」から腹が立つ。相手に不快感を感じる。不快な気分を晴らしたくなる。ならばそもそも買わずに放っておけばよいだけのこと。それで先方がますます心を乱して勝手に気持ちが倍増しようと、こちらの都合ではなく、あちらさんの都合なのだと気が付きました。
ただし、それには条件があります。
こちらが、けしかける様な態度や言葉を使っていないと、意識することが条件です。無意識にしてしまったことがあるならば、それはその時に解決できることも多いのではないかと。自分でも気づければ買わずとも済むかもしれません。また買わないことと、相手そのものを無視すること少し違うようにも思います。
無視をされたと思うことで、ますます事態が悪化することもあるからです。
近年は、自由という名の時代のもと色々な人がいるので、虫の居所が悪いだけであったり、構ってほしいだけだったり、逆恨みであったり、本来まったく関係もないことで人様に喧嘩をしかけたり、恨みをもったりする人がいるので、一概にはいえないかもしれません。
でも自分からわざわざ「買わない」=「動じない」ができるだけで、半分以上の事柄を避けることができるような気がしています。
人にはそれぞれの正義があって、正義の反対は、もう一つの正義であるということを聞いたときに、至極納得しました。
なので、この世の中、おそらく正解も不正解もないのでしょう。
明らかな不正義は、法で処罰されますし。
価値観の違いなどで、相容れないからといって恨みを買う必要もないわけなんですよね。それを深く理解したら、あまり不安になったりイライラしたり、腹が立たなくなったりするもんだなと感じました。
情勢が不安定になったり、時代の変わり目のようなと時には、
人もイライラしていることが必然的に多くなります。
この流行り病の期間の長さから、おかしな事件も実に多い。
きっと何か鬱積したものが、世の中全体に蔓延しているのでしょう。
そんな中でどう上手に生きていくか、楽しく仕事をし、暮らし行くかの
賢い術として、やはり売られても買わない、動じない、上手にかわす。
これが一番のコミュニケーションスキルの向上に繋がるのではないかと、
感じています。
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