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初めて借りた部屋は、おっかないことでいっぱいだった

初めて部屋を借りたのは、大学に入って2ヶ月くらいのこと。
そんな中途半端な時期になったのは、もともとが通学する予定だったからだ。

だが、大学までバスと電車を乗り継いで2時間かかり、その電車がラッシュアワーで身動きできない……ということで病んで大学に行けそうになくなる日が増えてしまったので、仕方なくだが、下宿を探した。

これに関しては、「小中高と徒歩通学だった」「ラッシュアワーが怖かった」「もともとが閉所恐怖気味」と、見通しが甘かった。
地方都市なので、「ラッシュアワーの混み具合も東京に比べたら大したことない」と誰かに言われた。
だが、私にとっては、「カバンから手を離しでも床に落ちないくらい人でぎゅうぎゅう」状態は、充分につらかった。

田舎の地方女子大だったから、人間よりもカエルの方が多かったし、時代はバブルの真っ最中だった。まだ消費税(当時は「大型間接税」って言ってたような)も導入されていない時代のこと。

そういうところなので、「農家が土地の有効利用としてその女子大の下宿を営む」ところが多く、私が住んでた下宿もそんな感じだった。

下宿は大学の学生課に紹介して貰ったが、私の要望は「とにかく安いところで」

そして「初めて借りたあの部屋」の家賃は、月に9000円だった。
まだ消費税もない時代!
「安い」という条件はクリア。
そして、玄関、風呂、炊事場、トイレは共同!
部屋は四畳半(江戸間。江戸間は京間より狭いとこの時知った)

それでもよかった。
当時の私は「彼氏?何それ美味しいの?」というか、バブルまっさかりだったがとにかく地味なオタクだったから、というか。

そこの下宿(と言っても大家さんと住んでいるわけじゃない。女子寮みたいな一軒家)は、8部屋あったが、入居済みは3部屋だけ。
同じ女子大の4年生が2人、3年生が1人。
やはり、「風呂トイレ炊事場共同の上、クッソ狭い江戸間の4畳半、しかも西日がサンサン入って暑い」という条件じゃなぁ……あの頃でも「マンション」に住んでる学生いたし……。

4年の先輩も、3年の後輩も優しい人だった。それがあの下宿で救われたところだった。

玄関入ると、なぜか菜箸が置いてあった。
私はすぐ、その意味を知ることとなる。

———-夜中に響き渡る先輩の悲鳴。
菜箸を取りに行く先輩が階段を行き来する。
私はとにかくよく寝る人間なので、先輩の悲鳴も「夢かな……?」くらい寝ぼけていたが、翌朝、真相を知った。

「またムカデが出たのよ。私の胸の上を通って行ったの」と、翌朝になって語る先輩。
「ムカデが出たら、あの菜箸でつまんで捨ててね」
————そういうことかよっ!

やがて、慣れた私は、ムカデを見かけたらつまんで、熱湯かけて捨てるのを無表情で出来るようになった。

ムカデは噛まれたら危険だからね。
そんな家だったので、ゴキも出たと思うのだが、あんまり覚えてない。
ムカデ御殿だなぁと思っていた。
あまり嬉しくない御殿だが。

炊事場の窓ガラスを蛇がにょきにょきあがって、どこかに行ったのは怖かったなぁ。
あまりに怖すぎて、何もできなかった。

挙句の果てに、「なめくじみたいだけど、顔(?)が扇型をしている謎の虫(?)」が出た時は、全員招集で大騒ぎをした。
今みたいにすぐネットで情報が探せる世の中じゃなかったから、まず「アレは何?」「毒ある?」と疑問に思っても、本を読んで調べなければならない。もう夜だし、調べるのは無理。

その時は男気のある先輩(美人)が、例の菜箸でつまんで捨てて……くれる前に、その謎のいきものを持って、私らをふざけて追い回し、私らは「イヤー」と逃げまどった。
結局、先輩は、「謎のいきもの」を近くの川に流して捨ててくれた。
次の日、別の先輩が「図書館で調べたけど、アレは『コウガイビル』って言うのよ」と教えてくれて「ヒルの仲間かぁ」と覚えて、今でもその恐ろしい名前は忘れられない。

その頃、昭和天皇が具合が悪く、テレビは毎日、昭和天皇の「血圧」とか「今日は下血がありました」とテロップが出っ放しだったが、正月を過ぎて昭和天皇は崩御された。

「歌舞音曲を慎め」と誰が言ったかは覚えてないが……テレビは「昭和天皇の追悼番組」をやっていた。「全国民で喪に服す」のが当然、みたいな………レンタルビデオがものすごい勢いで借りられたそうで……わかる、その気持ち。小さい子供には、アンパンマンが必要だ。

そして私は冬休みが終わり、下宿に戻ってきた。「平成って言われてもねー」と、まだ新しい元号に慣れないねって言い合った。

4年生の先輩たちは「卒業論文で忙しいからこの冬は戻ってない」と言っていた。
そして先輩たちから、この下宿最大の恐ろしい話を聞かされることになる。

ある夜、4年の先輩が寝てたんだって。先輩は暑がりだから窓を開けたまんまで。
そこから謎の男が侵入。
先輩は目が覚めたけど、寝ぼけていたら、いきなりその男に首を絞められた、と。
それで先輩がうめいていたら、もう1人の4年の先輩がまだ起きていてうめき声に気が付き
「××ちゃん!どうしたの?」
と、ドアを激しくノックしたんだって。
そしたら男は下宿の中を逃げたけど逃げきれず、侵入入口であろう窓から、逃げていったと……。

今にして思うと、あの件、大家さんには言いにいってらしたけど、警察は呼んで無かったような……あれ?
田舎だったからか?

当時、その辺りには痴漢が多く、勘弁してほしいくらい、ワサワサいた。
痴漢は電車にいるだけじゃない、田んぼのそばにもいるんだよ……。

そういう「女子大生だから」と狙った性犯罪を犯す人間が怖かった。

それと、私はあからさまに女子大生だったからと、身の回りのものを買いに行った時、「あまり条件的には良くないが、売っちゃえ」といいように言われてボラれることも多かった。
女だから、学生だから、詳しい情報を持ってないからとすごく悔しい思いをした。

あの下宿はいろんな怖いいきものが出現してたけど、一番怖いのは「ボったくる大人」と「痴漢などの性犯罪を犯す男」で……。

当たり前のことで言葉にするのもなんなのだけど、「人間が一番、怖かった」

そしてその下宿は、結局、1年生が終わる時に去ることになる。

4年生の先輩が2人卒業するけれど「次に新入生に入って貰いたいからリフォームする、だから家賃を倍にする」と言われて、「リフォームが満足するものじゃ無くて倍の家賃を払ったらもうちょっといいところを借りられるわ!」と3年生の先輩と一緒に引っ越した。

でも思い出してみると、あの下宿での日々は楽しかったことの方が多く、それは先輩がいい人たちだったのも大きい。

人によって救われたり、この世で一番怖いのは人だったり……そういうことを知ることができた部屋だった。

そして、私は今でも、窓を開けて寝ることができない。

#はじめて借りたあの部屋
#日々のこと