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カレーとシャンプー
カレーの香りにシャンプーの香りが混ざるようになった。そう気づいた時、胸が少し痛んだ。
自宅近くにカレー屋がある。カレー屋といっても色々あるが、“謎のオレンジ色のドレッシングがかかったサラダが出てくるタイプ”のカレー屋。AからEくらいまで種類が選べて。ナンとラッシーがセットになっているタイプのカレー屋だ。
ちなみに行ったことはない。
でも、きっと合っている。
夕方17:00から開くお店の近くを通ると、カレーの香りがする。
なんていい香り.....。
スパイス溢れる香りを吸い込む。その瞬間、思考は一気に遮断され、気づけば夕飯のことで頭がいっぱいになる。それが私の帰り道。正確には帰り道“だった”
昨年末でアルバイトを辞めた私は、今年2月から正社員として働き始めた。仕事が変わり18:00だった帰宅時間は19:00になった。
1時間。
大差は、ある。夕食を摂るのが1時間遅くなった。そんなことか、と思うだろうが、私にとっては大きなこと。まだ事前に決めた時間以外での食事に抵抗があり、これまでのルーティンと違う時間の食事には気持ちが怯む。“夜遅い食事”は私を太らせそうで怖い。
そして“文章を描く”私にとって何より大切な時間が短くなったことを嫌でも痛感する。そのための時間確保について考える必要があることも。
カレーの香りだけが充満していたアルバイト時代の帰り道。最近ではどこかの家からか漂うシャンプーの香りが混ざるようになった。
夕食が早めの家庭であれば入浴時間でもおかしくない時間。そう気づくと、焦る。早足になる。早く帰って時間を確保しなければ、と思う。早く夕食を食べて、早く文章を、と気持ちが急ぐ。
無意識に早まる足取りで帰宅するやいなや、軽く洋服の手入れをする。すぐに簡単な夕食を用意する。動画を見ながら食べて、急いでお風呂に入る。軽く文章を描く。そして4:00のアラームをセットして眠る。
カレーにシャンプーはいらない。
カレーだけの時間に帰りたい。
正社員として働き始めてすぐはそう思っていた。
早めに夕飯が食べたい。もっと自分の時間を作りたい。けれど、就職して3週間が経ち業務にも段々と慣れ、ふと数年前を振り返った。
数年前、私は、身体を壊し働けなくなった。
始めたアルバイトも、1日3時間を月3日がやっとだった。体重が落ち、体力が落ち、数時間立っているのがやっとだったあの頃。長時間働けることをただ純粋に“すごい”と思っていた。願わくば体調を戻した暁にはそうなりたいとも。
昼間の買い出しに向かう人々を横目に帰路についていたあの頃。カレーが香る時間に帰れるようになったよ。段々とシャンプーの香りも混ざる時間まで働けるようになったよ。
そう言ったら昔の私はなんて返すだろうか。目を丸くして驚いてくれるだろうか。きっと“お疲れ様。頑張ってくれてありがとう”と言うに違いない。あの頃の私が見てくれている。そう考えたら、カレーとシャンプーの香りを吸い込む帰り道をもっと好きになれそうな気がした。感じた胸の痛みが、ぬくもりに変わる気がした。