その根底にあるのは怖さ
初めてイベント記事書いてみようと思います!
ということで、早速、今日のアウトプットをします。
夕食後、小学1年生の娘が、算数の宿題をしていました。
パパがプリントを確認すると、文章問題が間違いだらけだったと。
ママとパパどっちに教えて貰いたい?って聞くと、ママ!と言うので宿題をみることに、、、
「赤い花が8本あります。白い花が6本あります。どちらが何本多いですか?」
しき 答え を問う問題。
まさかの8+6=14 と書いていたので、「ねえ、ちゃんと問題読んでごらん?」と思わず呆れたような感じで始まった勉強。
似たような問題が4問あり、理解していたらサラサラ解ける問題なのに、めちゃ時間がかかるかかる😮💨😭
段々とイライラしてきて
「ねえ、今何を悩んでる?何が分からないのかがママは分からないから説明して!」
と怒り口調に😭
そう怒っていながら、私の中で「あ、これ昔もあったな」と思い出したんです。
勉強が出来る私と、全然出来ない妹。
母が妹に教えて、と言うので教えていたら妹の理解度の低さにイライラ爆発してしまい、最終的に喧嘩、母からは怒られて私は自室に閉じこもる。😇
あの、いや〜な思い出がブワワワっと思い出されたのでした。
あの時、母から教えるのが下手だとか、妹への「バカ!」という怒号が強烈に刷り込まれているようで、
・バカであっては危険
・私は教えるのが下手くそ
というレッテルを自分に貼ってしまったのでした。
バカでありそうな娘にイライラするのも
教えても上手く伝わらないことへのイライラも
この、バカであってはいけない、というマイルールを刺激されてイライラしていたし、
私は教えるのが下手くそ、というセルフイメージが娘の宿題というフィルターを通して疼いていたのですよね。
それもこれも、「恐れ」からくるイライラだったんだな〜
ってことに気付きました。
怖さに気付いたら、怖さをしっかり感じきります。
そして、感じきったら
私はどうしたいか、に目を向けていきます。
旦那さんと話しながら、我が家での宿題のあり方会議をしました(^^)
私が恐怖を感じていたことも伝えて、そのうえでどんな風に接していこうか話しあえて良かったです😊
小さい頃の生き方、もう窮屈になってきてますよー!ってことを日々教えられてます🥹👏🏻👏🏻