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【郷愁ポルノ】消えた夏の音



「あ、おった……おーい、潤!」
 勇吉が土手の石段を駆け下りてきた。ずいぶんと走り回ったのだろう。真っ白なTシャツは雨で濡れたようになっていた。ぼくはあの河原にいた。かつてぼくが溺れていた陽太を救った河原だ。ぼくが、山谷兄弟のヒーローとなった河原だ。
 その河原でぼくはずっと座っていた。
「ここにおったんか~。さっき潤の家にも寄ったんやけど、おばあちゃんも心配しとったで」
 ぼくの真横に立って、勇吉はポケットから煙草を取りだした。腕時計を確認すると、もう午後十一時を回っていた。勇吉と家を出たのが午後八時だったから、あれから三時間近く経っていた。
「なあ、どうしたんや? 急に出て行くから、ビックリしたで。四号機にも気づかれそうになって、けっこうヤバかったんやで」
 川風が強い。勇吉は片手で風を防ぎながら、咥えた煙草にライターで火をつけた。暗がりのなか、白い煙が舞い上がる。
──今日は煙草臭くないのね。
 ぼくはさきほど満里奈さんがささやいた言葉を思い出す。ぼくのことを勇吉だと思い込んで、情熱的に熱っぽく絡めてきた舌の艶めかしい感触も口の中に残っていた。
 まさか満里奈さんの彼氏が勇吉だったなんて……。
「まあ、ええわ。それより、どうだった? 四号機。若かったやろ」
 おそらく勇吉は満里奈さんを彼女と思っていない。四号機と呼んでいるとおり、オモチャにできる女の一人としか見ていないのだろう。ぼくが何も答えないでいると、
「なんか怒ってる?」
 隣に立っている勇吉が、ちらりと横目でぼくを見下ろしてきた。
「あれ……この前、夏祭りで会った女の子やろ?」
 ぼくは勇吉とは目を合わさず、言葉を発した。いまさら確認する必要もなかったが、それぐらいしか聞くことがなかった。
「おお、そうやで! 覚えていたか。俺、オバハンに飽きた潤のために、なんとか歳の近い女を用意しようと思ってな。最初は舞子先輩でええかなぁと思っていたんやけど……」
「けど?」
「どっちかというと、潤は舞子先輩よりも四号機のほうが好みなのかなぁと思ったんや」
 どうや、正解やろ? といわんばかりに、勇吉は自信たっぷりに言った。
「……」ぼくはムスッとした顔になっていた。だが、暗がりの河原ではぼくの表情まで読み取れないのだろう。勇吉は明るい口調で話を続けた。
「正直、俺は舞子先輩とヤリたかったんやけどな。ほら、ああいうちょっとボーイッシュな部活の先輩を、チンポでよがらせるのって、興奮するやん」
 ぼくと会話ができるだけでも嬉しいのか。勇吉はいつにも増してお喋りが止まらない。煙草もうまそうに吸って、晴れやかな顔で夜空を見上げていた。
 ぼくは忸怩たる気持ちで夜の黒い川を眺めていた。
「あ……もしかして、潤も舞子先輩のほうが良かったのか? それで怒っているのか?」
 煙草を吸い終えて、勇吉が吸い殻を川面に投げ捨てた。いつもの行動であったが、ぼくは無性に腹が立った。ぼくがヒーローとなった川を汚された気分だった。
「ごめんって。俺はてっきり潤は四号機みたいなお嬢様っぽいおとなしい子のほうがタイプなんやと思ったんや。だって、あのとき……四号機を見ている潤の目が、なんか男っぽかったからなぁ。俺の誤解やったか!?」
 勇吉がぼくの真横に座り込む。思わず顔を合わせてしまうと、勇吉は待っていたかのように、ニィと白い歯を見せてきた。
 親友の好きな女を取った……彼がそんな卑怯な奴でないことぐらい、ぼくはわかっている。むしろ、ぼくのために、たいして好きでもない女の子を口説いたのだろう。ちょうどぼくが満里奈さんとかき氷屋で待ち合わせをして、お喋りを楽しんでいたあのころから……。 
 満里奈さんだって、ぼくを騙そうなんて考えていないはずだ。たまたま夏祭りで会った二歳下の男の子と偶然にも本屋で再会して、お互いに本好きという共通の趣味を持つ、〝いいお友達〟ができた。それだけのことなのだ。
 勇吉も満里奈さんも、そしてぼくも悲しいほど純粋だった。
 ぼくが満里奈さんのことで頭がいっぱいのとき、満里奈さんは勇吉のことで頭がいっぱいで、勇吉はぼくのことで頭がいっぱいだった。
 それだけのことなのだ。
 それだけなのに、ぼくはいま許せない気持ちでいっぱいになっている。
 気づくとぼくは立ち上がっていた。
「どうした?」
 勇吉もつられて立ち上がった。
 自然と男二人で夜の川面を眺めることになった。
「四号機か……」
 ぼくはなんの感情も込めず、つぶやいた。
「ん? ああ……でも、潤が気にいらんのやったら、四号機はもういらんわ」
 勇吉はぼくの機嫌を取るように、ヘラヘラと笑った。
 直後、夜の河原に乾いた肉を打つ音が響いた。
 ぼくよりも身長が十五センチは高く、体も鍛えているくせに、勇吉はあっけなくうずくまった。「痛い」とも「何をするんや!」とも言わなかった。いや、人生で初めて人を殴ったぼくのパンチなど、まったく効いていなかったのかもしれない。
 それでも勇吉はうずくまった。殴られた左の頬を抑えながら、なにが起こったのかわからない様子で、きょろきょろと目も泳がせていた。
 そんな勇吉の姿も、徐々にかすんできた。殴ったほうのぼくが泣いていた。
「……潤?」
 勇吉がひどく怯えた顔でぼくを見上げてきた。こんな情けない顔の勇吉を見たのも初めてだ。実にナヨナヨしていた。もうひとりのぼくを見ているみたいだった。
 ここにはもうヒーローなんかいない。
 ぼくは自分の幻影から逃げるように、土手の石段を駆け上がっていた。


 結局、一睡もできないまま、ぼくは早朝に家を出た。
 昨晩遅くに帰ってくるなり「始発で帰るわ」と言いだしたぼくに、祖母は驚いて悲しんでいたが、それでも家を出るときは「気をつけるんやで。またいつでも遊びにおいでな」と笑顔を見せてきた。祖母は足が悪いから、見送りは玄関までにしてもらった。
 Y町の駅まで歩いた。駅は高台にあるから、坂をのぼらないといけない。
 この夏、ぼくがY町の駅に到着したとき、山谷兄弟が坂を駆け上がって迎えに来た光景を、ふいに思い出す。あのときは夕暮れどきで、空は茜色に染まっていた。
 明け方の白い空のした、ぼくはY町の改札をくぐった。無人の駅舎だから誰もいない。切符も車内で買う仕組みだ。
 福知山行きの始発は六時十五分発で、あと五分程度でくる。たくさんの文庫本を詰め込んだリュックを背負いながら、ぼくはホームに出た。当然、ホームにもひとけがなかった。一両編成の車両しか止まらない短いホームには、木製のベンチがひとつだけ置いてあった。座って待っていようと、ベンチに視線を向けると、白いTシャツに短パン姿の男が寝そべっていた。だが、男は寝ていなかった。
 ぼくの姿を確認すると、のっそりと起き上がった。
「……勇吉」
 ずっとここで待っていたのだろうか。
「おお、潤!」
 昨晩のことなど忘れたかのように、勇吉は笑顔で片手をあげた。そして、寝起きのように大きく伸びをしてみせたあと、ベンチから立ち上がり、がく然としているぼくのほうに近寄ってきた。
「いつからいたんや?」
「ん? あ~、昨日の夜からや。潤が明日には帰ると言っていたからな。ここで待っていたら、見送りができるやろうと思ってな」
 はにかむ勇吉は唇の端がわずかに切れていた。ぼくが殴った痕だ。だけど、ぼくは、「そうなんや」つっけんどんな言い方をして、勇吉の唇の傷から目を逸らした。
「あの、潤……」ぼくの態度に、勇吉はたちまちしょげて、苦しそうに呼びかけてきた。それでもぼくは聞こえていないふりをした。
「俺、あれからいろいろと考えてん。なんで潤が怒っているんやろうって……。あれやろ? 俺が一号機とか二号機とか、三号機とか四号機とか。女をモノのように扱っているところに、腹がたったんやろ?」
「……」ぼくはなにも答えられなかった。女をモノのように扱っていたのはぼくも同じだ。そもそも、ぼく自身がなにに怒っているのか、わからなかった。
「潤に昨日殴られて、俺も目を覚ましたわ。もう、そういうことはせえへん。とりあえずいまの女たちは全部切って、一から出直すわ。だから、潤、もう怒らんといてくれ」
 見当違いのことを言って勇吉は、すがるような目を向けてきた。ぼくはふたたび彼から目を逸らした。
 逸らした先の視線には単線のレールがあった。見晴らしが良く、まだ距離はあるものの、遠くのほうから一両編成の電車がこちらに向かってきていた。
 夏帆さん、理沙さん、静子さん、満里奈さん。
 ぼくはなぜか四人の名前を心のなかでつぶやいていた。
「なあ、潤……」
 勇吉がぽつりとつぶやいた。
「……なに?」
 ぼくは結局、最後まで冷たい口調を崩せなかった。
「……また」
 勇吉が何か言いかけて、言葉を詰まらせた。
「なんだよ」
 まだだいぶ遠いと感じていたが、電車は思ったよりも早くこっちに迫ってくる。別れの時間はどんどん迫っているのに、勇吉はそれ以上、なにも言ってこなかった。
 やがて電車がホームに入ってきた。プシューッと空気の抜けるような音とともに、ドアが開いた。ぼくは勇吉を一瞥することなく、電車に乗り込んだ。
 勇吉は黙って、ドアの前で立ち尽くしていた。
 ぼくは振り返らなかった。勇吉の視線を背中に感じながら、ぐっと堪えていた。
──本当はそのとき、ぼくは仲直りをしたかったんだ。振り返って笑顔で、「また来るわ」と言いたかったんだ。
 だけど、できなかった。どうしても許せなかった。勇吉や満里奈さんではない。自分自身が、だ。
 車内にはぼく以外、誰もいなかった。がらんとなった車内のシートに、朝焼けの斜光が差し込んでいた。
 背後でドアの閉まる音がした。
「また来いよ!」
 直後、勇吉の声が届いた。驚いてぼくは振り返った。
 電車がゆっくりと発車した。
 勇吉は動き出した電車に併走してきた。
 ぼくの顔だけをまっすぐに見つめながら、「また来いよ! 待っているからな!」と野太い声で叫び、最後は大きく手を振ってきた。
 笑っていた。勇吉は無理に笑っていた。
 にぃと、白い歯を、懸命に見せていた。
 ぼくが勇吉の姿を見たのは、これが最後となった。
 
 
 実家に帰ると、環境は一変していた。母親と妹はもう母方の実家に引っ越していた。父親と二人だけの生活になったわけだが、しょせんは男同士だ。干渉しあうこともなく、それぞれが勝手に飯を食って、それぞれが勝手に寝て起きるという生活になった。
 学校生活が始まると、ぼくは自分自身の変化に気づいた。
 それまで休み時間は教室の隅っこでひとり過ごしていることが大半だったのに、自分からクラスの連中に喋りかけるようになった。すぐに男友達が数人でき、女の子とも普通に会話ができるようになった。そうなった理由はいうまでもなく、勇吉のおかげだ。一言でいえば、度胸がついた。ナヨナヨとすることがなくなり、誰の前でも堂々と自分を出せるようになっていた。セックスを経験していることも大きかった。勇吉と二人して、大人の女性を相手にたくさんの悪さをしてきたのだ。多少のことではビビらなくなったし、自意識過剰な羞恥心もだいぶ薄れた。
 よくも悪くも、ぼくは勇吉っぽくなっていた。友達に対して「さすが、○○君や!」と大げさに褒め称えることも言うようになっていた。そういう自分の変化に気づくと、勇吉への怒りのようなものもなくなった。それどころか、早く会って謝りたかった。最後はあんなことになってしまったけど、男らしい勇吉のことだ。「気にするな!」の一言で済ませてくれるだろう。陽太や千鶴さんにもまた会いたい。夏帆さん、理沙さん、静子さん……いまのぼくなら満里奈さんにだって、笑顔で会える気がする。
 二学期が始まって、一ヶ月ほど経ったころだ。その日もぼくは最近できた男友達と学校帰りにゲーセンで遊んで、帰宅したのが夜の八時過ぎだった。父親は残業で今日もまだ帰ってきていなかった。誰もいない家に帰ってきたところで、電話がけたたましく鳴っていることに気づいた。あわてて靴を脱いで、居間に駆け込み、受話器を取った。
「もしもし、苫田です」
「あ~、潤ちゃんか。ずっとかけているのに全然通じないから、どうしたんかと思ったで」
 祖母からだった。今日何度も電話をかけていたみたいで、口調も落ち着きがなかった。何かいやな予感はした。
「ごめん。友達と遊んでいて……どうしたんや?」
「あ、あのな……潤ちゃん、落ち着いて聞いてや」
 受話器越しからも、祖母は涙ぐんでいることが伝わってきた。
「な、なに?」
 直感で聞きたくないと思った。ぼくはこのときすでに受話器を持つ手が震えていた。
「しょっちゅう、うちに遊びにきていた勇ちゃんが……」
 祖母はもうひとりの孫を呼ぶように、親しみを込めて彼をいつもそう呼んでいた。
「勇吉がどうしたんや!?」
「昨日の夕方。ちっちゃい男の子が川で溺れてな。たまたま通りかかった勇ちゃんが、すぐに飛び込んだんやって……それで男の子は助かったんやけど」
 夏は終わり、もう蝉の鳴き声もしない。
 だけど、幻聴だろうか。
 受話器の向こうでは、いまも蝉がせわしなく鳴いているように聞こえた。
 蝉だけではない。あの川のせせらぎも聞こえていた。静子さんの家の縁側にあった風鈴の音色もする。千鶴さんが台所で西瓜を切っている包丁の音も聞こえる……。
 自転車の車輪の回る音もする。勇吉がぼくを乗せて、必死にペダルを漕いでいたあのときの音だ。
「勇ちゃん、そのまま流されて……死んでしもうたって」
 祖母の声とともに、ぼくの頭の中を駆け巡っていた、夏の音も消えた。




21章「消えた夏の音」より


つづきは本編で。

新刊「郷愁ポルノ 僕らの五号機」

匠芸社・シトラス文庫刊
定価 880円


「イケよ、イケ! 俺の親友にオ○コ舐められて、イケよ!」
おまわりの嫁、未亡人、元担任、海辺のお嬢様、そして親友の姉。
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編集……若林育実
著者……柚木怜

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著者プロフィール

柚木怜(ゆずき・れい)

京都出身、東京在住。1976年生まれ。
23歳の頃よりフリーライターとして、週刊誌を中心に記事を執筆。30歳の時、週刊大衆にて、初の官能小説『白衣の濡れ天使』を連載開始(のちに文庫化されて『惑わせ天使』と改題)。
おもに、昭和末期を舞台にしたノスタルジックで、年上女性の母性溢れる官能小説を手がける。
また、YouTubeチャンネル「ちづ姉さんのアトリエ」にて、作品を朗読配信中。

著書

『惑わせ天使』(双葉社)
『おまつり』(一篇「恋人つなぎ」 双葉社)
『ぬくもり』(一篇「リフレイン」 双葉社)
『初体験』(一篇「制服のシンデレラ」葉山れい名義 双葉社)
『明君のお母さんと僕』(匠芸社 電子書籍)
『お向かいさんは僕の先生』(匠芸社 電子書籍)
『キウイ基地ーポルノ女優と過ごした夏』(匠芸社 電子書籍)
『邪淫の蛇 女教師・白木麗奈の失踪事件 堕天調教編』(匠芸社 電子書籍)
『邪淫の蛇 夢幻快楽編』(匠芸社 電子書籍)
『姉枕』(匠芸社 電子書籍)
『郷愁ポルノ 僕らの五号機』(匠芸社 電子書籍)


 

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