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書いていたら救われると思っていた

タイトル的に暗そうな話題に見えるな、と思いつつ。とりあえずつらつらと書いていこうと思う。別に暗い話題をここへ投じたいわけではなくなんとはなしにそう思っていたなというだけのことなんだけれども。

2019年。世界はパンデミックで大騒ぎ。私は当時ゲームセンターで働いていた。世界的混乱の渦にいて、アミューズメント業界は休業という選択を暗に迫られ、そして私の働いていた店舗も一時休業する羽目になったのを覚えている。とはいえ、休業中も店舗メンテナンスという名目で仕事をしていたのだけれど。

その年の春だったと思う。私は急激に体調を崩した。原因は『私のちっぽけな自尊心が傷つけられたから』と今なら言ってしまえるけれど、当時の私は正当な評価が得られなかったばかりに傷つけられ追い詰められたのだ、と勝手に思いこみ、他責思考に陥ってやたらと怒っていた。それでいて、不安に押しつぶされそうで日々を乗り越えるのに必死で。

救われたかった。何かに。そう思ったとき、「ああ書けばいいんだ」と漠然と思った。その当時の私はお世辞にも読書家とは呼べなかったし、書くということから離れて10年以上は経っていてなんでそう思ったのか今もって分からない。たぶん心のどこかに10代の瑞々しい感性を持ち合わせていたときに抱いていた『自分の書いた小説が本になったらいいな』という感情が小さく、でも青白い炎のようにもう一度灯ったのだろう。

あのときの感情は今、より強くなって自分の中にあるはずなのに、それを抱いた瞬間の『見つけた』という感覚はぼやっとしていて輪郭もきちんとは思い出せない。でもそれでいいのだろうと思う。それくらいでちょうどいい。

仕事を辞めたのが2020年だったか2021年だったかは忘れたけれど、とりあえず私は仕事を辞めた。なーんにもすることがない日々は気楽でもありヤキモキもした。細々とネットで小説を公開しては幾人かの人が読んでくれ、時には感想をくれた。でもなんだか足りないと思った。読んでもらえることも、感想をいただけることもとてもありがたいし嬉しい。でも私はそれだけでは救われなかった。

書いていたら救われると思ったのに、私の病状は不安定で落ち着かない。なんの目標もなく書き続けることに閉塞感も感じはじめていて、ネットで書くことが億劫になってしまった。それでも書きたいという炎は消えない。

2022年になって、作家になりたい、というかなれるはずという得体の知れない私の傲慢さが顔を出してきて、何か小説の公募に出そうと思った。その当時の私は小説のお作法すら知らないズブの素人で、感嘆符や疑問符のあとは1マス空けるとか、三点リーダーやダッシュは偶数個で使うことも知らず、まずはお作法の勉強をすることに時間を使い、出す公募は何となく小説すばるだなと思っていた。ちなみに今のところまだ1度も小説すばるには投稿していない。

2023年初めて公募に作品を投稿した。小説現代長編新人賞。緊張して震える手で押した応募ボタン。その次に出したのが野性時代新人賞。去年はそれだけで精一杯だった。

2024年5月。転機が訪れた。作家志望の人たちが集まるコミュニティに参加したのだ。めちゃくちゃコミュ障の私が。この選択をした私を今は褒め讃えたい。ここで出会った人たちのおかげで、私は成長と心身の安定を得た気がする。

ただ書いているだけでは救われなかったのに、私は今年出逢えた人たちにかなり救われたし、今も救われ続けている。

書いていたら救われると思っていた。それだけじゃ救われなかったけれど、書いていなければ出会えなかった人たちが私を救ってくれた。

だから最大級の感謝を出会えた人たちにおくりたい。

あなた方に救われました。現在進行形で救われ続けています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

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苑田澪
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