祭りとは、孤独からいちばん遠い場所。
ーーあおぞらクラフトいちをはじめ、あらゆる祭りとは、待ち合わせ場所であり、再会を果たす場所であり、作家が届いている実感を持てる場所、孤独からいちばん遠い場所なんですよね。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「祭りとは、孤独からいちばん遠い場所。」というテーマで話していこうと思います。
📚あおぞらクラフトいちへ
昨日、あおぞらクラフトいちに行ってました。茨城県水戸市にある水戸芸術館の麓で開催されたイベントで、毎年2回行われています。
あおぞらクラフトいちは、その名の通り、青空のもと、色とりどりのテントが貼られ、ハンドメイド作家たちの作品たちが販売されます。また、飲食の提供もありますし、コンサートの披露もあります。クラフトいちというよりも、祭りといった方がふさわしいかもしれません。
一緒に回っていた僕のパートナーはハンドメイド雑貨に目がなくて、店を巡って惹かれる作品を目にする度に声を上げていたのが印象的でした。
正直、僕はそこまで惹かれるわけじゃないんだけれど、インテリアにしてら部屋を彩ってくれそうだなぁとか、キーホルダーに付けたらアクセントになるなぁとか、想像しながら回るのは楽しいものでした。ひとつひとつの作品には作者がいて、その作者の顔が見えるクラフトいちという空間には思うところがあります。
僕自身、文学フリマや地域のマルシェ、古本市などに出店して、自分の本を売ってきた経験があるから分かるんですが、ああいう空間では作品を手売りするわけだから届いている実感が湧くし、お客さんの顔が見えること、お客さんの言葉が聞こえることの尊さを感じることができるんですよね。
コミュニケーションするからこそ届けられるものはあるし、たとえ届けられなくても、自分のことを知ってもらったり、興味を持ってもらったりして、学びや気づきを得られる。
いろんな理由から、作家は定期的にオフラインでお客さんと交わる場所をつくるべきだと思うんですよね。
📚待ち合わせ場所としての祭り
何となく予想はついたけど、あおぞらクラフトいちでは知り合いにばったり会うことが多々あって、久しぶりの再会に歓喜することもありました。
大学進学をきっかけに水戸に来て、コロナのせいでつながりたくてもつながれなかった時代を超え、その反動か、大学3、4年生のときはひたすら人に会いにいったんです。小中高の旧友たちにも会いにいったし、飲みの席に足繁く通ったし、コミュニティを見つけて飛び込んでいったり、イベントに参加することもしてきました。
この1年でだいぶ人の縁を広げることができたし、大学に進学する前の僕が想像もしなかった景色を、今の僕は目にできているんだなぁとつくづく思います。
大学4年のときの文化祭もそうだし、大学卒業の日もそう。知り合いにばったり出逢えたり、久しぶりに会ったときに喜び合える仲間を増やすことができたと気づきたとき、胸に温かいものを抱くんですよね。あおぞらクラフトいちでも、同じように温かいものを抱きました。
孤独からいちばん遠い場所にいる。
そんな感覚がきっと、温かいものの正体で、祭りという空間ではその感覚がよく呼び覚まされるんだと思うのです。
※大学4年の文化祭↓↓↓
※大学卒業の日↓↓↓
📚孤独からいちばん遠い場所
21世紀最大の課題は「孤独」とも言われていて、人生の幸福度を決めるのは「仲間」であるとも言われています。自分が誰とつながり、どんなコミュニティのなかに身を置くのかが、人生をより豊かにするために大事になってくるというわけです。
どれだけ賢くてもひとり孤独に生きていくのは寂しいし、どれだけお金を持っていても良い関係を持っていなけりゃつまらないものになってしまう。今の時代の人の生きる道とはそういうものであるのです。
とはいえ、仲間をつくるにしても、コミュニティに属するにしても、簡単にできることでもないので、きっかけとなる何かがあってほしいと思う人はたくさんいるはず。その役を担うのが、「祭り」だと考えます。
子どもから大人までとにかくいろんな人が同じ空間に集まって、同じ時間を共有すること。それが孤独を解消する、させる方法のひとつといえるわけです。
あおぞらクラフトいちをはじめ、あらゆる祭りとは、待ち合わせ場所であり、再会を果たす場所であり、作家が届いている実感を持てる場所、孤独からいちばん遠い場所なんですよね。いつか僕もそんな空間をつくってみたいな。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
20240422 横山黎