雨上がらない空の下
――とうの昔に放り投げた傘の代わりに、是が非でも夢を叶えるという意地を今は手に握りしめています。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「雨上がらない空の下」というテーマで話していこうと思います。
もうすぐ11月が終わろうとしています。今年ももうあとひとつき。光のような速さで過ぎ去っていく時間に、何とかしがみつきながら生きている自分がいます。
先月から「売れる小説家への道」と題して、半年で10個文学賞に応募するという挑戦を始めたけれど、それは自他ともに認める茨の道。この物語が僕を晴れ舞台へと導いてくれるのか、正直期待よりも不安の多い心を抱えながら、日々綴っているんです。
書く習慣、書く感覚を取り戻したかったことに加え、とにかく数打ちゃ当たるだろうという希望的観測もあって、短い作品をつくっていろんな賞に出すという戦略を立てました。それすら良いのか悪いのか、時によく分からなくなります。
ちなみに、僕の現在地はこんな感じ。
ちなみに、②の『花火の幽霊』と⑤の『花火の幽霊』は全く別の物語です。②は20代女性が主人公、夜の公園が舞台の「ビール」の物語、⑤は20代男性が主人公、夜の海辺が舞台の「手紙」の物語です。それぞれの主人公に共通しているのは、「ひとりで花火をすると、幽霊が現れる」という噂を信じて、幽霊に会おうとしたこと。つまり、同じタイトル、同じ世界観で全く別の物語をつくったというわけです。
それはともかく、こうして振り返ってみると、2ヶ月で目標の半分は叶えられたことになりますね。書き出しだけだったり、プロットだけだったり、純粋に作品と呼べないものもありますが、あの手この手を使ってとにかく賞を獲りにいっています(笑)
……とまあ、こうして書いてみると、いかにも順調そうに見えますが、さっきも触れたように、今歩いている道が正しいのか、この先に眩しい未来が待っているのか、半信半疑のまま歩いている日々です。
この2ヶ月の間にもあきらめた公募はありました。10月末までに「ホラー&ミステリー大賞2」に短編を出すつもりで締め切り当日まで粘ったけれど、郵送しか受け付けていないことに気付きあきらめました。
また、明日が締め切りの「第47回小説推理新人賞」に応募するつもりでいたんです。それに向けて、『雨上がらない空』という作品を書いていたんですが、それもあきらめました。間に合う間に合わないの話ではなく、この作品は規定された字数制限では表現しきれないと判断したんです。
原稿用紙で80枚。wordにすれば、25枚程度です。元々短編のネタのつもりで書いていたんですが、この話は短編の枚数じゃ描ききれないと結論を下しました。これまでに4,5回書き直してるネタなんですが、毎回短編公募の字数制限に収めようとして、上手くいっていないんですよね。
だから、もうこの作品を短編の公募に出すのはやめようと思いました。かといって長編のネタでもないので出しどころが難しいんですが、ちゃんと作品が輝くように、ちゃんと枚数をかけて物語りたいなと思いました。公募に出す出さないは二の次にしたくなるほど、この物語は大切にしたくなっちゃうんですよね。
『雨上がらない空』は、とにかく報われない物語です。梅雨の季節、とある中学校で起きた事件の謎を主人公たちが解いていくんですが、登場人物誰も彼も報われません。ただただ悲しい、僕には珍しくバッドエンドの物語です。
雨上がりの空とはよく言うけれど、その前には雨上がらない空が必ずあって、「いつ晴れるのかな」「このままずっと雨が続くのかな」「明日はきっと……」と不安で息苦しくなる時間が続いているんです。
そんな報われない時間と真正面と向き合ったのが、『雨上がらない空』という作品です。僕自身、今はまだ雨上がらない空の下にいて、日の目をみることを夢見ながら物語をつくっています。
あがいても、もがいても、この雲を晴らさなければ、世界を照らすことはできません。雨上がらない空の下にいる人にとって、「止まない雨はない」「いつしか晴れる」なんて言葉は、時に心に鋭く刺さるものです。その痛みを、僕も常々感じながら生きています。
とうの昔に放り投げた傘の代わりに、是が非でも夢を叶えるという意地を今は手に握りしめています。僕の物語が、人生が、果てまで晴れ渡りますように。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20241129 横山黎
※テーマソングもつくってるけど一向に歌詞が定まらない↓↓↓(PCでダウンロード)