授業のなかにも「体験」を。
――ジグソー活動を取り入れた理由はいくつかあるんですが、そのうちのひとつは「体験」を仕掛けるためでした。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「授業のなかにも「体験」を。」というテーマで話していこうと思います。
🏨「体験」で感動を。
最近の僕の心の針は「体験」に向いています。サーカスのような舞台芸術「仕立て屋のサーカス」の公演に行ったり、「イマーシブ・フォート東京」に遊びにいったり、とにかく体験するコンテンツにはまっています。
ちょっと前には謎解きイベントに参加したり、自分でも泊まれる謎解き『花火の幽霊~木の家ゲストハウスからの脱出~』というイベントを開催したりしていました。
僕は先月から、半年で10個の文学賞に応募するという挑戦を始めているように、僕の興味は「小説」という媒介にあるのは間違いんですが、僕のやりたいことは小説を書くことではないんです。文学賞に授賞することもでもない。
より多くの人の心を動かしたいんです。
そのための手段が「小説」であり、「文学賞への挑戦」なのです。極端な話、感動をつくれればその手段は何であってもよくて、漫才でも絵でも映画でも小話でも何でもいいんです。
僕の人生の流れを踏まえると「小説」が最良手だからそれにしているんです。ただ、時流や僕の最近のマイブームが体験コンテンツなので、どうすれば唯一無二の体験を提供できるのだろうか、なんてことを考えている今日この頃です。
🏨大学院の授業のなかに…
先日、僕は大学院で授業をする機会がありました。「学校教育における多様性の受容と活用」という授業のゲストティーチャーとして登壇したんです。そこで僕は「桃太郎」の授業をしました。
「え、なんで?」と疑問符を頭に並べたかもしれませんが、「桃太郎」という題材は「多様性」というキーワードと相性がいいんです。
桃太郎の物語は時代によって変容しています。明治時代の「桃太郎」の物語には勇進する帝国として日本が重ねられたし、戦時期の「桃太郎」の物語のなかには真珠湾攻撃をモチーフにしたものもあります。そんな風に政治利用された過去もあるんです。
これはあらゆる文学にいえることですが、物語とはその時代を映す鏡のようなもので、「桃太郎」も例に漏れずその特性をはらんでいます。
かくいう今の「桃太郎」はどんな物語が展開されているかというと、「多様性」の物語なんです。果たして鬼は本当に悪いのか。退治したらそれが本当の幸せなのか。そういった疑問を解消しながら、違いを受け止め合うことを是とする物語が多いんです。
以上の背景から、「多様性」をテーマに「桃太郎」の授業を展開しようと思い至ったのです。
僕は授業の中でジグソー活動を取り入れました。各グループのメンバーにそれぞれ「犬」「猿」「雉」「鬼」の名前を与えて、同じ名前同士のメンバーで別のグループをつくってもらいます。で、それぞれの名前のグループに別の資料を提供したんです。こんな感じで↓↓↓
ジグソー活動を取り入れた理由はいくつかあるんですが、そのうちのひとつは「体験」を仕掛けるためでした。
🏨授業のなかにも「体験」を。
授業の最後、5分くらいかけて、僕なりに伝えたいことを伝えにいきました。学校教育、桃太郎、ジグソー活動をやった意味、すべての要素(伏線)を回収しにいきました。
結論からいえば、教師とは、他者を巻き込む存在「天才」であるのだから、違いを排除するのではなく尊重して受け入れて共に生きていこうとする文化を育てる未来へ導くように立ち回るべきだよね、という話です。
この「天才」という言葉、考え方は、「雉」のグループに提供した『芥川龍之介の桃太郎』という絵本のなかにあるものでした。良く知られる『桃太郎』の物語とは違い、桃太郎を残虐非道な侵略者として描いた芥川は、物語最後、彼を「天才」と呼びます。
芥川の『桃太郎』の物語のなかでは、桃太郎は鬼退治の際、直接手を下さないんです。犬、猿、雉に号令して、鬼を退治するんです。つまり、「天才」とは、他者を巻き込んでひとつの目的を成し遂げようとする存在のことを指すといえるわけです。
この構図は、「鬼」のグループに提供した『桃太郎の海鷲』というアニメーション映画の物語のなかでも現れたものでした。真珠湾攻撃を「桃太郎」の物語に重ね合わせた本作は、桃太郎は動物たちを指揮する軍のトップとして描かれるんです。芥川の『桃太郎』同様、実際に退治するのは犬、猿、雉で、桃太郎は手を下さないのです。ここでも、桃太郎は「天才」の存在なのです。
このあたりのことに触れながら、僕はメッセージを伝えにいったんですね。『芥川龍之介の桃太郎』の話で、「桃太郎って直接手を下していないですよね」と投げかけると、「あっ! たしかに!」という気付きの声が上がったんですね。
ジグソー活動のさなか芥川の『桃太郎』を読んで、最後に僕の言葉によって気付きを得た「雉」の人たちの心は少なからず動いたはずで、その体験によって記憶の定着や学びへの姿勢にいい影響を及ぼしたんじゃないかなと振り返っています。
それは、『桃太郎の海鷲』を視聴した「鬼」のメンバーもそうだし、別の観点からは、他の学生にもいえることだと思います。ジグソー活動もひとつの「体験」といえますからね。
もちろん、感動を生むことだけが教育の使命ではないけれど、心を動かさないことには学ぼうとする意志が生まれないし、授業外で自主的に新しく何かを得ようとする姿勢を喚起することにはならないんですよね。
まだまだ手探りではあるけれども、授業のなかにも「体験」を設計する意識を持つことは悪くないんじゃないかなという話でいた。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20241104 横山黎
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