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「意外性」を狙ったら「物語性」が失われる。
――「意外性がある」ということは、裏を返せば「それまでに話題にしていない」「物語を見せていない」ということであり、ひとつ間違えると、鑑賞後に何も残らない、感動が生まれない事態を招いてしまうと思うのです。
人生は物語。
どうも横山黎です。
今回は「『意外性』を狙ったら『物語性』が失われる」というテーマで物語っていきます。
◆日曜劇場『マイファミリー』
先日最終回を迎えました日曜劇場のドラマ『マイファミリー』。主演の二宮和也さんをはじめ、豪華なキャストでお送りする、誘拐事件を巡るファミリーエンターテイメントが展開されました。
正直、誘拐もので1クール持たせるのはきついだろうな、中だるみするだろうなと思っていたんですが、そんなこともなく、回を重ねるごとに深みも面白みも増していきました。
物語は、主人公の娘さんが誘拐されるところから始まりました。最初の3話で、その娘さんの救出劇が描かれ、はじめこそ仮面夫婦だった主人公とその妻の関係が深まる展開になりました。最終回の勢いです(笑)
しかし、その後、また別の誘拐が次々と発生していき、登場人物たちの秘密や過去を追っていくと共に、真犯人に迫っていく流れになりました。
今回は、『マイファミリー』の最終回を観て思ったことについて話していきます。
結論からいうと、「『意外性』だけ狙ったら『物語性』が失われる」です。
◆真犯人は意外性のある人物だったけど……
がっつりネタバレしていきますので、あらかじめご容赦ください。
最終回まで真犯人の正体は不明でした。最後の最後で、犯人が誘拐事件の捜査に当たっていた捜査一課長であることが判明しました。
警察の関係者が犯人でした!っていうオチは古からある手法です。捜査する側だから謎を解く陣営だと思われていたけど、実は犯人だったという展開は確かに意外性があります。
しかし、僕は思うのです。
意外性を狙ったら、物語性が失われる。
『マイファミリー』の最終回を観終わって、得た結論がそれでした。確かに、捜査一課長が犯人だったというオチは意外性がありました。
ただ、「意外性がある」ということは、裏を返せば「それまでに話題にしていない」「物語を見せていない」ということであり、ひとつ間違えると、鑑賞後に何も残らない、感動が生まれない事態を招いてしまうと思うのです。
『マイファミリー』を全部みて、真犯人が捜査一課長で、「意外だなあ」と思ったけど、それ止まり。あとはみんな丸くおさまって、家族っていいよねというメッセージを表現して、幕が下りました。
公式のホームページをみると、ミステリーという単語は使っていなくって、あくまでファミリーエンターテイメントと定義しているので、『マイファミリー』にミステリー的な意外性を求めていないと思うんです。
それもあって、なんか、最終回を観終わって拍子抜けしたなあって感じがしました。
誤解のないようにいっておくと、全話通してめちゃくちゃ面白かったんです。途中、泣きそうになるくらい心を動かされたし、日曜劇場らしいどんでん返しがあったし、俳優さんたちの演技にも魅せられました。
だからこそ、最後まで「真犯人が誰なのか」で引っ張って、意外性だけを追求して、動機も大して特別なものでもない展開に引っかかりを覚えてしまったんです。
◆フーダニットはもう限界がきてる
Whodunit(フーダニット)
Howdunit(ハウダニット)
Whydunit(ワイダニット)
この3つをご存じでしょうか。
ミステリーの種類のことで、「誰がやったのか/どうやってやったのか/どうしてやったのか」に重きを置いています。
犯人が誰かを推理するミステリーはWhodunit、密室トリック等が登場するのがHowdunit、動機を探るのがWhydunit……って感じです。
僕はかねてから「Whydunit」に可能性を感じています。
「意外性のある犯人」や「密室トリック」はもう使い古されていて、今日のミステリーで扱われるそれらは使いまわしであることがほとんどです。
しかし、動機に関しては、人の数だけ存在するものであり、いくらでも深掘りすることができるのです。動機を深掘りするということは、その人の心情や思想を詳細に書き記すことであり、それはつまりその人の人生を綴ることです。
「なぜ?」「どうして?」
それに説得力のある答えを出すためには、それ相応の物語が必要で、自然と「物語性」が生まれるんですよね。
だから、『マイファミリー』の例でいえば、真犯人の捜査一課長の物語が少なすぎたし、薄すぎました。だから、僕は拍子抜けしてしまったし、意外性だけが残ってしまって、最終回の物語に心を動かされることはあまりなかったわけです。
なんなら、もう一人の犯人である、東堂(主人公の友達)の方が感情移入できたし、物語性がありました。ちゃんと作品に寄り添う動機だったし。
話をまとめると、「人の心を動かすためには物語が必要」ってことです。ミステリーでそれを追求するならば、動機を重んじるWhydunitの方がいいよねって感じです。
みなさんはどんなことを考えましたか?是非、コメント欄で教えてください。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
【#351】20220616 横山黎