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【故事成語】夜郎自大(やろうじだい)
古の人々は、わたしたちに教訓となる沢山の言葉を記録し、現代に残してくれました。
それらは、わたしたちが調子のよい時も、窮地にあるときも、心に響く名言として、さまざまなことを教えてくれます。
そうした言葉を「格言」「名言」「金言」あるいは「ことわざ」などと表現しますが、最もしっくりする、「故事成語」に統一して、ご紹介していきたいと思います。
『あー、そんなの知ってるよ』、とか、『何を今更』という場合も多々あるかも知れません。
そんなときにはどうか、今一度、「故事成語」を新鮮な気持ちでおさらいして下されば幸いです。
わたしは日本史も世界史も大好きで、特に記録の国と呼ばれた中国の歴史がとりわけ好きなんですね。
ですから、中国からの故事成語のウエイトが高くなるかも知れませんがご了承ください。
さて、故事成語の第一回は、歴史の父とも言われる、中国、前漢時代の史家である、司馬遷の『史記』から選んでみました。
【夜郎自大】の意味とは?
中国の貴州の西境にいた部族の「夜郎」が、漢の巨大で広大であることを知らずに、自分たちがもっとも勢力があると自慢して、おごり高ぶっていたということから、愚かな者が自分の力量をわきまえずに、得意になっていばっていることをたとえていう。「自大」は、尊大な態度の意味。「野郎自大」と書くのは誤用。
『史記(しき)―西南夷伝』にある記述から。
〔例〕「おれは東大出だと夜郎自大にいばっている人間ほど、だめな人間はない」とか、「地方は流行遅れだという夜郎自大の東京人が多いが、東京ほど空虚で冷たいところはないよ」などのように使う。
前漢時代の夜郎国
ちょっと聞きなれない、夜郎という小国はどんな国だったのでしょうか。
ウィキペディアの掲載記事を整理して書いておきます。
夜郎(やろう、拼音: Yèláng)、または夜郎国とは、『史記』西南夷列伝に記述される前漢末期まで存在した小国(前523年-前27年)の名前。現代の貴州省もしくは雲南省あたりにあったと思われる。
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当時の中国は、初の統一国家、始皇帝の「秦」を倒した劉邦こと高祖が創設した「前漢」の時代。その7代皇帝の武帝が勢力を拡張していた時代のことですね。
夜郎の概要
夜郎の中心地は現在の貴州省赫章県にあり、可楽遺址からは多くの夜郎時代の遺跡・遺物が発掘されている。
建国の時期は明らかにされていないが、考古学の研究により戦国時代には存在していたとするのが一般的である。また、夜郎に関する最後の記録は、前漢末期に漢の陳立に夜郎王の興が斬首され殺された、というもので、その直後の紀元前27年前後に滅亡したと考えられている。
『史記』では夜郎は当時の西南地区における最大の国家であり、武帝が南越国討伐に唐蒙を派遣した際、その地で当時蜀郡(現在の四川省)で産出された枸醤こうしょう(果物の調味料)が夜郎よりもたらされたことを知り、南越国を牽制する目的で使節を派遣、現地に郡県を設置し、夜郎王族を県令に任じることとした。とある。
『夜郎自大のいわれ』
その漢の使者と面会した夜郎王が
「漢孰與我大」(漢と我といずれが大なるか)と尋ねたことより、「世間知らずで、自信過剰」を表す「夜郎自大」(夜郎自らを大なりとす)の故事成語が誕生した。
漢による郡県の設置は南越国滅亡後にようやく実施され、夜郎による漢への入朝も行われ、武帝は夜郎王に封じている。
河平2年(前27年)、夜郎王興は反漢の兵を起こすが、漢軍に撃破され興は斬首され、その直後に滅亡したと考えられている。滅亡後は郡県が設置され、宋代に至るまでしばしば夜郎県の名称が登場している。
感想
当時の世界は数億人で、前漢とローマ帝国がおおよそ、世界の1/6ほどの人口を占めていたそうです。
それだけ、両大国は巨大であり、そこの皇帝は絶大な権力を持っていました。向かうところ敵なし状態。
秦王朝が統一後、わずか15年で滅びてしまったことから、次の漢はその失敗を踏まえて、儒教を国教とし、皇帝臣下の王莽に簒奪されるまで、約200年の長命王国となりました。後漢とあわせれば、約400年間。
特に、7代皇帝の劉徹こと武帝は、たいへん野心に溢れており、史上に残る絶対的君主でした。彼の在位していた時期の前漢の勢力は他を圧倒するほどの国家で、そう簡単に逆らえるものではなかったようです。
ちなみに司馬遷は国家に仕える役人でしたが、ある事件に巻き込まれて、この武帝の怒りに触れ、宮刑(男根を切断されて宦官になること)に処されています。このあたりは、歴史好きにはよくご存じなところでしょう。
このような誰もが逆らえないほどの大国に向かって
「おれの国はすごいぞ。ところで、
あんたの国と、おれの国はどっちが大きいんじゃ?」
とかいうマヌケ発言、笑っちゃいますよね。
今でいうところの情報弱者ですし、井の中の蛙ですし、田舎の世間知らずです。
本当に知らないということは、恥知らず
ということでの見本のようなもの。
きっと、この夜郎の王様は、自国の中では威張り散らしていたことが想像できます。
2000年以上も経った現在まで、笑いものにされている、夜郎の王。
こうはなりたくないじゃないですか。
わたしもね、こういう方々とは何度か接近遭遇しています。
あくまで一例ですが。
●社会人としてプチ成功している人々
何かの勢いで社会的地位を得て、年収が高くなると、
「成功したのはおれの力」何をやっても許されると勘違い。
酒色に溺れて、下の人や周りの忠告も聞かず、やりたい放題。
部下にパワハラやモラハラは日常茶飯事。
まだまだ、自分より上の成功者がゴマンといるのも知らずに、小さな世界でイキっている人が多いですね。大体、こういう成金成功者タイプには教養、道徳心がない場合が多いです。
過去に、福澤諭吉や渋沢栄一らは、この手の人にはなるなよ、と警告していたわけです。
かくいうわたしも、時として調子に乗り、慢心が過ぎてよく失敗もしています。戒めていかないといけませんね。
『夜郎自大』という言葉を聞くたびに、思い出すたびに
謙虚な気持ちでいることの大切さを
まざまざと知るのです。
ざっくり、まとめますと。
✅夜郎自大とは、世間知らずの思い上がりを意味する
✅陰でバカにされたり、笑われないためには、常に情報を得て、学び、控えめで謙虚でいることが大事