見出し画像

昭和〜平成 あの著名人たちと会った・話したの記憶を辿ります。



昭和から平成にかけて、数々の著名人と出会い、言葉を交わす機会に恵まれました。彼らとの対話は、私の人生に深い影響を与え、忘れられない思い出となっています。本書では、その貴重な瞬間を振り返り、彼らの人柄やエピソードを通じて、時代の息吹を感じていただければと思います。


大学時代にアルバイトで芸能イベント会社のスタッフをしていたので、多くの著名人と接する機会に恵まれました。合計100回以上は行ったと記憶。

主に警備や舞台作り、個人警護などです。多い時は毎日夕刻から行っていました。地元の千葉文化会館や、日本武道館、代々木アリーナ、旧・渋谷公会堂、東京ドーム、などが多かったです。

キャパの大きいところは徹夜でステージ作り。そのあとで警備。しんどかったですね。ギャラは4000円から1万円くらいでした。弁当代は別途。宿泊は雑魚寝でした。きっつい。

それは、明治大学のアルバイトサークル先輩経由で誘われた仕事でした。私は明大出身者ではないですけど、同大学にはいつも出入りしていたのです。

所属会社はディスク・ガレージ、フィリップ・サイド、ウドー音楽事務所になります。


また、いちファンとして握手したり話したりも追加です。
ただファンとしてライブで見ただけ、なんていうのは割愛しますね。


敬称略にしますね。

田原俊彦 楽屋警備で彼と挨拶。美人女子大生らが楽屋に入っていました。

近藤真彦 ファンの追っかけから逃す役割。

シブがき隊 舞台練習での絡み。薬丸さんと仕事の話した。

少年隊 接触はなし。ただの警備。

小泉今日子 接触はなし。ただの警備。

松田聖子  個人警護。二人で話しました。
聖子ちゃん当時22歳だったかな。
わたしは20歳でした。

中山美穂  錦糸町の勤務先、猿江恩賜公園内でドラマのロケ。
うちの会社の会議室を更衣室にして使われていました。あとはトイレ。
フジテレビのロケスタッフらと一緒。共演の松村雄策さんもいました。
彼はロケバス内でお弁当食べていました。

ミポリンと撮影後に会社内で話した内容はこんな感じ。両手で握手をしながら。

わたし23歳。ミポリン17歳かな。可愛らしい服を着ていましたよ。

わたし「お忙しいでしょうが、これからも頑張って下さいね。応援しています」

ミポリン 「ありがとうございます😅嬉しいです💖頑張りますので、これからもよろしくお願いします」

と、腰が低く笑顔でニコニコ。本当に性格が良い方なんだなと感心しましたね。

アルフィー 特に懇意にしていたバンドで、ライブクルーとして何度も一緒に。三人ともスタッフらと打ち上げに飲みに行き、ギターのピックも沢山頂けました。人気絶頂期のころの話です。三人ともきさくで良い方。気取りも奢りもなく謙虚で楽しい人たちでした。苦労人でしたからね。

スターダスト・レヴュー 記憶なし。

NSP(ニュー・サディステッィク・ピンク)  記憶なし

ハウンドドッグ 大友康平さんと話した。

本田恭章 渋谷公会堂。楽屋で話。ライブで女性のブラやパンツが飛んできました。なんだったんだろう。

尾崎豊 さいたま大宮ソニックシティにて、ライブ後に世間話しました。ツアーには同行するほどの回数の多さ。徹夜の仕事も多かったですね。

ストリート・スライダーズ ハリーさんいい人でした。

爆風スランプ ライブがめちゃくちゃでお客さんが大暴れ。

甲斐バンド 東京国技館でのライブ。接触なし。

稲垣潤一 彼のお誕生日だったのでワインとグラスを持ってライブ中、ステージで二人で乾杯。観客の前でしたから非常に緊張しました。

チューリップ ステージが鉄骨だらけでかつぐのが大変。接触なし。

ハイファイセット 男性メンバー二人と話。お名前失念。

チェッカーズ 大人気中。接触はなし。

杉山清貴とオメガトライブ 杉山さんと話した。

舘ひろし 日本武道館での泊まり込み仕事。アルバイト全員と握手されて、一人ずつお礼を述べられました。すごく人徳のある低姿勢で謙虚な神様。テレビで見た通りの素敵な男性でしたね。感動です。「泣かないで」大ヒット中。

高中正義 ギタリスト 記憶なし。

ラウドネス ヘビィメタ 記憶なし。


他にもたくさんいたのですが、記録にあったのはこんなところでしょうか。

あと平成期間にはAKB48にハマり、前田敦子さんと二度握手して話しています。小柄で可愛かった。例の握手会でしたね。


と、まぁ、ほとんどが大学生だった昭和の話になるのですが、こんな感じでした。外タレはよく覚えてないです。ローリー・アンダーソンというパフォーマーがいて、赤坂か、表参道のアートスタジオでライブしましたね。

あとはピーチ・ジョン創業者で初代社長の野口美佳さん。

野口美佳氏。本名は矢野里美さんです。

この方は自分の上司だったので話すのも必然ですよね。

彼女の弟さんとも仙台でご馳走になったりで大変お世話になりました。

野口会長や専務ともよくサシで飲みに行きました。楽しかったです。

ミカジョン氏は非常に黒のスーツの似合うイケてるカリスマ社長さんでしたよ。

一年の半分は海外に行かれていました。とにかく行動力のある熱い女性で、尊敬の念を抱いていましたね。理想の経営者像でした。

まー、二人とも超大富豪になられて、六本木ヒルズ数部屋にミカジョン社長は引っ越されたのですが、、、、、その後の話はよく知りません。知ってるけど話せない。流石にここでは。

私は、社長のミカさんには、

サスペ(サスペンダー)


とあだ名を付けられて、


会長さんには、

「ヒモ」


と呼ばれていました。


ひどいですよねー・・・・笑えるけど。


どこがヒモですか。

まぁ、多少は当たっているけれどもwwwww

ということで、今回はここまでです。


最後までご覧頂きありがとうございます☺️良かったらスキ💖フォロー頂けますと嬉しいです😉





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集