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植物の生きるエネルギー

 最近、植物のすごさを感じている日々が続いています。今の時間帯はベランダに入る光が限られていて、少ない時間帯で植物たちが光を求めて上へ上へと伸びています。ちょっと前まではベランダの半分ぐらいまで光が入って来ていました。夏に近づくにつれて光が入ってこなくなりました。考えてみたら10月ぐらいから光がベランダを超えて家の中まで入ってきました。サンキャッチャに光が当たり家の中がミラボールのように輝いています。当たり前ですが季節によって光の当たり具合が、植物の生きようとするエネルギーから解らせてもらっています。
 一つのプランターに2種類の野菜を植えたら2つとも上へ伸びようと1種類植えた植物よりもエネルギーを感じます。

 昔、何の本だか忘れましたが、植物は生きるために石を溶かす、石を溶かす成分を植物が出して生き残るそうです。
 この本を読んだ時、目から鱗でした。すごい、すごいと。このことに着目して商売に繋げた人もいるのではないでしょうか。

 生きた種は生き延びる力が備わっていて、そこに自分が生き残れる環境があればしたたかに生き残っていくのだと思います。私が何気なく捨てていた柑橘類の種から5つも芽がでています。みかんの木です。ミカンの木は葉っぱが対生になっています。小さいときに近所の方がたんかんを栽培していて見たことがあるからです。

 1ミリもいかない小さな種から大きくなり、野菜になったり、樹木になったりする。そして屋久杉のように何千年も生きている。
 どこの神社にも樹木がしっかりと立っている。行いの悪い人間は樹木の下に行かない方がいいと思います。木は生きていてその人間がどんな人間かわかるので、もしかしたら罰を受けるかもしれません。上から毛虫を落としたり、小枝を落としたりします。お天道さまはみな知っているのです。

 私の中でのブームです。種を頂いています。お腹を壊さない程度に。欲ばったら罰をうけます。

 人間の言葉の中に中庸という言葉があります。 ある程度、歳を重ねたら求めるばかりではなく、与えたり、諦めたり、を実行したら中庸が身に付き周り100メートルが湖面のような厳かで静寂に包まれるのではなかろうかと思います。・・・・天海 礼花


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