理学療法士がメタファーを解釈すべき理由
前回、前々回と、言語聴覚士に見習うべき点を書いてきました。
前々回
前回
今回は、理学療法士が言語を解釈するということについて、その一例として『メタファー』というものを取り上げて考えてみたいと思います。
『メタファー』とは、日本語では『隠喩』と呼ばれます。何かを何か別のものに例える言語表現のことです。
「足が棒になった」というのはメタファー表現ですね。
一方、『シミリー』というものがあり、こちらは日本語では『直喩』です。
「足が棒のようだ」というような表現がシミリーです。
さて、ここで臨床の場面を思い出していただきたいのですが、患者さん・利用者さんがご自身の症状や不調について説明される際、『メタファー』や『シミリー』を使われたことはありませんか?
あまり注意を払っていなければ流してしまうかもしれませんが、『メタファー』や『シミリー』を用いてご自身の身体感覚を表現する方は多いです。
なぜ、わざわざ『メタファー』や『シミリー』を用いて表現されるのでしょうか。
この記事を読むと、
●臨床場面において『メタファー』を解釈することの有用性がわかる
●理学療法を行う上で、『メタファー』をどのように解釈すべきかわかる
●患者さん・利用者さんの経験に迫るためのツールが得られる
『メタファー』を用いる理由
『メタファー』研究の第一人者であるジョージ・レイコフは、著書において『メタファー』について次のように述べています。
メタファーの本質は,ある事柄を他の事柄を通して理解し,経験することである。(G.レイコフ, M.ジョンソン著:レトリックと人生, P6, 1986)
先ほどの「足が棒になった」という表現では、「足」の状態を「棒」という全く別のものに喩えて表現しています。
本来、足が棒であるはずはありません。
なぜわざわざこんな表現をするのでしょうか。
それは、自身の足の状態・感覚を相手に説明し伝えるために、共通の概念として理解可能なもの(つまり棒)を引き合いに出したということです。
自身の感覚というものは、他者と共有することはできません。
いくら詳細に言葉で説明したとしても、本質的に分かり合えないものです。
それでもなんとか伝えようとした結果、メタファーという表現を用いて説明する方が多いのだと思います。
理学療法士は『メタファー』をどのように解釈すべきか
せっかく患者さん・利用者さんがなんとかご自身の感覚を理学療法士に伝えようとしているのに、それを流してしまっては非常にもったいないと思いませんか?
では、どのように『メタファー』を解釈していけば良いのでしょうか。
一つは、「足」と「棒」との共通点をより詳細に聞いていくという方法があります。
「足が棒になった」という表現は、「足」の感覚に「棒」と共通した何かがある、感じられているということを示しています。
「棒」とはどのようなものでしょうか?
例えば、
●棒は曲がらない一本の線状の物体
●棒は無機質な物体である(身体ではない)
●棒は重たいものも軽いものもある
●棒は細いものも太いものもある
といったことが考えられると思います。
「足が棒になった」という表現を聞いた理学療法士は、その詳細な意味を探っていくために、ご本人が考えている「足」と「棒」との共通点を探っていかなければなりません。
上で推測されたような「棒」の特徴の中で、どのような点に共通点を感じているのか、ご本人しか分かり得ないことを詳細に質問していく必要があります。
例えば、
「棒っていうと、曲がらないですよね。足が曲がらないということですか?」
「棒っていうと、身体ではないですが、自分の身体じゃないように感じるということですか?」
「その棒というのは、どのような棒ですか?細いのや太いの、重いのや軽いの、色々な棒がありますよね?」
といった質問が考えられます。
このように、メタファー表現を詳細に質問・確認・考察していくと、患者さん・利用者さんご本人が身体をどのように経験されているのかに迫ることができるのではないでしょうか。
『メタファー』と『シミリー』
冒頭で『メタファー』の他に『シミリー』というものを挙げました。
『メタファー』と『シミリー』はどちらも何かを何かに喩える表現ですが、何が違うのでしょうか。
それは、『メタファー』は直接的に経験された事柄を表現しているのに対し、『シミリー』は直接的な経験ではないけれど説明するために別のものに喩えているということです。
同様の例を挙げましょう。
メタファー「足が棒になった」
シミリー 「足が棒のようだ」
この二つの例では、メタファーの方は完全に足が棒になってしまっています。
一方、シミリーの方は足は棒ではないけれど、喩えるなら棒のようだ、という言い方ではないでしょうか。
経験の直接性で言うと、『シミリー』よりも『メタファー』の方がより直接的に経験された感覚を述べていると考えることができます。
患者さん・利用者さんの言葉を解釈する上では、このような視点で考えることも必要だと思います。
まとめ
今回は、患者さん・利用者さんがご自身の症状や状態について話される際に用いられる、『メタファー』や『シミリー』という表現をどのように解釈するのかを書いてきました。
経験された感覚というのは、他者と共有することはできません。
それでもなんとか共有しよう、伝えようとした際に用いられるのが『メタファー』や『シミリー』といった表現方法です。
多くの理学療法士はこういった患者さん・利用者さんの言葉を流してしまっているのではないでしょうか。こんなこと、どこでも習いませんし。
ぜひ、患者さん・利用者さんが『メタファー』や『シミリー』を用いてご自身の身体について話された場合は、一度立ち止まって、詳細に分析してみていただきたいと思います。
もっと深く学びたい方へ
『レトリックと人生』
メタファーの第一人者である言語学者のレイコフが哲学者のジョンソンと共に書いた書籍です。
メタファーについて勉強しようと思ったら、まずは避けて通れない一冊だと思います。
古い書籍ではありますが、現在でも問題なく通用する内容だと思います。
おわりに
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