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人は産まれた瞬間が最も自由な理由

子どもは本当に自由です。

親の都合なんか関係なく、遊びたいときは遊びたいし、走りたいときは走りたい。

親は寝て欲しいのに、子どもはまだまだ遊びたい。

親になったら誰もが通る道で、本当に悩むところではないでしょうか。

子どもは、それを咎められたり、周りの様子を見て、少しずつ社会性を身につけていくわけです。

今回は、子どものこの『自由』がどのように失われていくのかを考えてみたいと思います。

親たちはこの『自由』にどのように向き合っていけば良いのでしょうか?

この記事を読むと、
●子どもの『自由』を尊重してあげる気になれる
●大人が失ってしまった『自由』が何なのか気付ける
●でもやっぱり子どもの『自由』は親にとって大変だなぁと思う(笑)


人が最も自由なのは産まれた瞬間

人は産まれた瞬間、産声をあげ、呼吸を始めます。

この瞬間までは母親のお腹の中で、狭く暗い空間に閉じ込められている状態です。

産まれた瞬間に全身の周りの空間が一気に拡がり、体の動きとしては自由になるわけです。

この瞬間は身体的な拘束もなく、社会的に何かの制約を受けることも(基本的には)ありません。

人はこの瞬間が一番自由だと思うんです。

この瞬間にも重力と呼吸しなきゃならないなどの制約はありますが、それでもその後の人生の中では最も自由な瞬間ではないでしょうか。


身体の制御は自由の制約

人は産まれたとき、ほとんど自由に動くことができません。

ほぼ反射で動き、周囲の大人に動かされるばかりです。

その後、少しずつ手足の動かし方を覚え、手で物を掴んだり、座ったり、歩いたりができるようになっていきます。

これを『運動制御』とか『姿勢制御』を獲得すると呼びますが、これは自由を制約することなのです。

子ども、特に赤ちゃんの関節は非常に柔らかく、大人では考えられないくらい広い範囲を動かすことができます。

本来の人間の関節はそれくらいの自由度を持って産まれてくるのです。

しかし、首が据わり、座ることができ、立つことができ、歩くことができてくると、柔らかい関節では不都合が生じてきます。あまりにも動きやすいと、不安定なのです。

そのため、関節の可動範囲は少しずつ狭くなり、結果体が硬くなっていく。

これは運動制御や姿勢制御を獲得する一方で、体や関節の自由度を制限していくということなのです。


成長に伴って増える社会的な制約

ここまでは身体的な自由が奪われていくことを書いてきましたが、次は社会的な観点から書いていきます。

産まれたてのときは、社会的な制約はほとんどありません。

しかし、成長するにつれ、人間社会や産まれた国の文化・風習などに適合していくことが求められていきます。

例えば、言語。

産まれた瞬間は本当に無限の可能性を持っていて、何語でも獲得できる能力を持っています。

しかし、産まれた国や親の話す言語によって、その言語を獲得されることになります。

私はもう獲得できないと思いますが、産まれた瞬間は"L"と"R"の発音の違いも聞き分けられたはずなのに。

また、『歩く』というのも、人間社会や文化に強要される部分があります。

確かに、人間は長い年月をかけて二足歩行に適した筋骨格構造を獲得してきました。

しかし、別に二本足で歩かなければならない理由なんてないはずなんです。

一生ハイハイでも良いはずなんです。

でも、社会や文化に求められるから、周りの大人たちがそうしているから、二本足で『歩く』という移動手段の獲得が求められるのです。

人間社会に存在しているいわゆる『障害』というものは、ほとんど全てがこの人間社会によって作り出されたものだと思います。

『発達障害』とか『学習障害』とか、『言語障害』とか『身体障害』とか、色々な『障害』がありますが、ほとんど全てが人間社会ではこうしなければ・こうあらなければならないという風習や文化によって生じるものです。

人は成長するにつれて、知らず知らずこういった社会のルールのようなものに自由を奪われていくのです。


子どものうちはできるだけ自由でいて欲しい

このように、人は身体的にも社会的・文化的にも、成長するにつれて自由を奪われていきます。

そんなことを考えると、子どものうちはできるだけ自由でいて欲しい、自由にさせてあげたいと思うのです。

上で書いたように、何かを獲得するということは他の何かを捨てるということです。

赤ちゃんのときは無限の可能性があっても、成長の中で何かを獲得することで、他の何かはいつのまにか捨て去られ、二度と獲得できないのです。

であるならば、できる限り自由に、本人が選びたいものを選ばせてあげたいと思うのです。

親は「ああしなさい」「こうしなさい」とついつい言いたくなってしまうのですが、もしかするとこれも無限の可能性、子どもの自由を制限しているのかもしれません。


まとめ

子どもの『自由』について書いてきました。

今回は身体的な『自由』と社会的な『自由』という観点で書いてきましたが、産まれた瞬間の人間は様々な面で『自由』だと思います。

『自由』ということは、無限の可能性を持っているということです。

親としては、子どもの『自由』を制限することなく、できるだけ可能性を拡げてあげたいものです。

でもやっぱり、夜は「早く寝てくれ〜」と思ってしまうのですがね(笑)

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まじい@マジメな理学療法士・公認心理師
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