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【記念日掌編】めくるめく日々
「お疲れ様でしたー!」
最後のお客様が帰ったあと、スタッフのユウタが伸びをしながら声をかけてきた。
「今日はもう掃除もいらないって聞いてますし、帰っていいんですよね?」
「うん、ありがとうね。ここはもう閉めるだけだから、明日からはあっちの店で会おう」
私がそう言うと、他のスタッフも次々と「お疲れさまでした」と声をかけて帰っていく。半年も前から決まっていたことだし、みんな既に新しい場所での勤務に気持ちを切り替えているようだった。
ユウタもドアの前で振り返り、少し笑いながら言う。
「店長、明日から本社勤務で昇進ですよね? おめでとうございます! じゃ、あっちでまた!」
私は笑顔を作って手を振った。
「ありがとう。じゃあね」
ドアが閉まり、静けさが戻る。札を「Close」にひっくり返し、私は一人、店内に残った。
今日は、フィットネスジムの最終営業日だった。無事に営業が終わり、私は「Open」の札をひっくり返し、「Close」にする。誰もいなくなった店内に、シャラリと音を立てて札が揺れた。お客様にはすでに近隣店舗への案内を済ませているし、スタッフたちも明日からはそちらで働くことになっている。
私だけが、明日から本社勤務だ。マネージャー職に昇進することになっていた。でも、少しも嬉しくなかった。私が店長をしていたこのジムが、今日で閉店するのだから。
配属されたときには、もう閉店は決まっていた。内々に進んでいた閉店準備の業務。スタッフたちには半年前に閉店の事実が知らされたが、それでも日常は変わらず回っていた。そして明日からも、日常は続いていく。ただ、このジムだけはもうない。
明日から業者が入って撤去作業が始まる。すでに運び出す必要のあるものは、すべて移動が済んでいる。私は電気を消して、帰るだけだった。でも、どうしても帰れずにいた。
店内には、壁に掛けられたカレンダーがまだぶら下がっている。今日は月末、最終日。明日から11月だから、カレンダーをめくろうと立ち上がる。
しかし、手が止まった。明日から営業しないこのジムのカレンダーなど、もう誰も見ることはないのだ。
ふと、ダムに沈む街のことを思い出した。
これから水の底に沈む、そんな街のカレンダーは最後の日にめくられただろうか?
世界が終わる日、人はカレンダーをめくるのだろうか?
明日が来ると信じているから、私たちは何も悩まずにカレンダーをめくることができる。けれど、もし明日が来ないとわかっていたら、私はこのカレンダーをめくるだろうか?
私は再びカレンダーに手を伸ばした。明日など来ないとわかっていても、カレンダーをめくろうと思う。それは祈りに似た感情だった。誰も見なくても、この場所に明日があることを願って。
カレンダーの紙が一枚めくれて、まあたらしい11月が現れる。
静寂の中で、その紙がかすかに揺れた。
【桃井】