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【記念日掌編】蛻の殻

 きょうは、雪。朝、降り始めて、昼には、もう、積もってた。薄ぼんやりした曇りと、突き放すような寒さ、吐く息が真っ白で、胸がどうして気持ち良い。小さいころの実家で、積もったときは、転んでもふかふかで、でも、びっくりしたから泣いちゃって、むかしはお父さんもお母さんも一緒に遊んでくれた。ああ、懐かしい。前に実家に帰ったの、いつだっけ。短大の卒業式の次の日、まだほんのり冬の残る季節だったから、たぶんもう一年くらいだろうか。


 きょう、あした、休みがもらえたから、ゆっくりできる、というわけでもなく、そろそろクリスマスだから、買い出しとかカリキュラム作成とか、お遊戯会のこと、いろいろやらなきゃ、いけない。わたしの担当してる組は、ちっちゃい子たちだから、上の組の子たちほどの負担はない。中村先生、大丈夫かな。昨日も遅くまで残ってくれて、園長とかは若いからって頼ってるけど。彼、そろそろ三十路って、誰か言ってた。園だと、いちばん歳が近い。背の高い、いい先輩。若いっていっても、わたしよりはひとまわりくらい上。でも、園長からしたら、みんな歳下になるから、若いのかな。大変そう。


 寒いからシャワーを浴びて、パジャマと一週間分の洗濯物を洗って、部屋の掃除をして、朝ごはん。いや、もう昼ごはん。また順番を間違えた。ほんとは、ごはん、掃除、おふろ、洗濯。汗を流して、汚れた服を洗って、効率よくこなす。それが、できる女というもの。そっちのほうがいいって言われた。でも、別にもう、誰も気にしない。汗ばんだ、筋肉質な指。遠慮の無い、力強い腕。あっというまに一週間経ったのに、いたときも、いなくなってからも、全然景色は変わらなくて、洗濯物だって、洗うのを拒まれていたし、でも、綺麗な服を着てて、きっと、あっちの彼女さんに任せてたから。それに、食器も使ってくれなかった。二人暮らし、さいしょにふたりで選んだ、おはし、お皿、お茶碗。たまに食べるときも、食器をべつに持ってきて、わざと自慢するみたいにつかって、見せつけられて、悔しくて悔しくて、だから、微笑んだ。ごちそうさまでしたも言わず、その食器はわたしが綺麗に洗ってあげてた。ゆっくり洗ったから、そのときの水の冷たさ、よく覚えている。


 これから買い出しに出かけるから、食事は軽く。炊飯ジャーから、昨日の冷や飯、残りものの豆腐のお味噌汁、おはしを準備して、テーブルに運んで、ああ、またまちがえた、まちがえちゃった。おかずがないから御茶漬けにしよう。御茶漬けの素を冷や飯にまぶして、ケトルから湯をかけて、海苔を添えて、できあがり。でも、これだとまだ熱すぎて、火傷する。前に同じことをして、舌の先と、上顎を火傷したのが、まだざりざりする。いつも、こんな失敗ばかりで嫌になる。寝ぼけてるってことにしておこう。でも、とっても食欲の湧く香り。おなか、そこまで空いてなかったのに、空いてるような気がしてくる。いい匂い。やわらかくて、ほんのりする。そう、だからつい、熱いってわかってるのに口にしちゃって、大火傷。火傷は、嫌い。このまえは湯たんぽで、かかとに水ぶくれができた。寒いからって、湯を沸かして、作って、気持ち良く眠れたのに、歩くたびにひりひりしてた。寒いのは苦手だけれど、でも、暑いより、寒いほうがいい。


 空が白くて、明るい。灰色かな。雪はまだ降っている。傘を、さしたほうがいいかしら。なつかしい。雪は踏むときの感触が好き。きゅっ、きゅっ、ってかたまって、内緒で悪いことをしてるみたいだから。雨と違って、雪はなんだか綺麗で、服についても払えば濡れないから、傘をさすのが億劫で、つい、はしゃいでしまう。そうして風邪をひいてしまう。でも、わたしの担当してる子供たちは、小さい子たちだから、うつすわけにはいかない。それだけは駄目だから、傘はさす。


 食器を洗って、拭いた手の肌が、がさがさしていた。いつから、こんなに乾いてしまったのだろう。青い血管に貼りついたような皮膚と、疲れた手の甲は、つやもはりも失せて、これだとお婆ちゃんみたいで、笑ってしまいそうだったけれど、子供たちの頬っぺたを思い出して、泣きそうになった。もちもちで跳ねるような、歪みの無い、ピンク色のかわいらしい血色と、それにひきかえ、暗がりのキッチンで見てるせいもあるかもしれないが、細かい皺とあかぎれでひび割れた、枯葉のような、蛹のような、生気の無い肌。きっと、顔もそう。昨日の夜に鏡を見たとき、額の端に、赤くぷっくり膨れた吹出物があって、気を失いたくなった。


 蛹。いつか、蝶になれるのかな。大空を、悠々と飛んでみたい。でも、きっと、芋虫のときにできた傷があって、外傷は全然目立たない、針で刺されたような傷だけど、消毒してなかったから、中は化膿して、膿んでて、蛹の中でその傷はずっと治らないまま、知らず知らずのうちに悪化してしまい、翅を広げられず、繭の中で腐って、体はぐずぐずに溶けて、冬の終わり、春の始まりには、腐った嫌な臭いを撒き散らし、蟻の群れに食べられて、空飛ぶ夢を見た芋虫は、それでお終い。羽化して、綺麗な自慢の翅で宙に舞い、ね、綺麗でしょう、美しいでしょう、そう醜かったころの日々を思い出しながら、辛く長い年月を耐えた成果、ご褒美をもらった子供みたいに、無邪気にはしゃぐ夢を見て、夢から醒めることなく、死んでしまう。あの人を忘れられないから。縋りついてしまう過去が、まだ過去になりきらず、小さな傷が、かさぶたの奥で息をしている。


 洗濯物をベランダで干そうとして、雪だから部屋干しにして、曇っているけど昼だから電気はつけておらず、カーテンレールに衣類を吊るして、部屋を見回すと、不思議なことにがらんとしている。持ち物は前から少ないし、家電や本棚、テーブルもこじんまりとしていて、一緒に暮らしていた頃とほとんど変わらないはずなのに、なんだか、隅の暗がりが濃くなったような気がして、知らないうちに残り香がなくなりかけていたから、腰の辺りから、背骨に沿って、そのまま頬を通り、鼻と目の奥に、つんと来る波が立って、たまらず、両手で口をおさえてしまった。これから、食材を買いに行かないといけないのに。お互いが数日前から察して、準備期間を充分に設けて、それでも良くならないで、そうなるべくしてなるような失敗は、これで初めてじゃないはずなのに、それに、いつも苦しくなるのに、どうして慣れない、この痛み、ずるがしこい、この弱さに、嫌になる。そうだ、お遊戯会のことを、考えなくちゃ。小道具も、買ってこなくちゃ。



 鍵をかけて、自転車を取りに行こうとしたけど、雪だから乗れず、仕方なく歩いて向かうことにした。ほぼ粉雪だから、傘は持っているけどささず、厚着した。田舎だから、しばらく歩く。実家も田舎だけれど、そこに似てるところも無くはないものの、やっぱりどこか違う道。道路は雪がまばらに溶けていて、車輪に潰されたところが、泥混じりに汚れて、水たまりになっている。歩道は縁石があるはずの高さまで積もっていて、探り探りだから、スーパーまでいつもよりかかるだろう。積もった雪の下には、アスファルトから生えた草が眠っていて、どうして彼らは、それでも雪が溶けて水になれば、また、元気になれるのか。この天気も、きっと明日には晴れる。晴れて、遠い日差しの太陽が、全部溶かしてしまう。陰に少し残るだけ。そうして元通り、元気になれる。それが分からない。


 車も人通りも無い。土曜の昼とは思えないくらい静かで、音が沈んでしまっているよう。家の中には人が住んでいるのに、そこにいるはずなのに、実はもう、わたしが寝ているうちに消えてしまって、この白い世界には、わたし一人しかいないんじゃないか、みんな遠くに行ってしまったんじゃないか、そんな気がするのに、寂しさを感じない。そんなことありえないから、そう思わないのではなく、誰もいないのなら、はなればなれにならない、別れを悲しまなくてもよい、一人のままなら、哀惜しないからだろう。元来、一人が好きだった。他人に気を遣わなくていいから、とても楽で、でも、関わることを避けているわけでもなく、それはそれで楽しいのだけれど、疲れていると、余裕がなくなって、適当に応対してしまうから、相手がわたしに嫌になって、どこか行ってしまう。それが嫌。そうなると、清々したと思ってから、しばらくして、ぽっかり空いた生活の穴に落ちる。こんなときに、一人ならどうしていたんだろう。眠ってしまっていたのだろうか。まだ、あの人の名前は、覚えているけど、顔はもう、ぼんやりとしか浮かんでこない。もっと前の人たちは、名前も顔もぼやけて、忘れてしまって、ただ、そういうこともあったと、失礼だけれど、たまに思い出すくらい。昨日の朝食を思い出せないことに似ている。美味しく作れても一人で食べて、必要だから栄養を摂っているだけみたいだから、すぐにどうでもよくなる。だから、名前や顔も同じように、日々に埋もれてゆく。


 公園の中を通る道は、足跡がまだ新しく、茶色い跡の上に跡が重なって、雪がほころんでいた。並木の枝葉から水が垂れて、幼いつららが尖っている。誰か踏んだところを踏むと、さっきまでのかためるような感触が一転して、潰して溶かすような、波打ち際のような、足取りも軽く、しゃくしゃくと鳴った。全然違うのにどうして、子供たちのたてる、どれかの音が思い起こされた。なんだか変な気持ちが続いている。一日働いたのに、きちっと皺のないスーツの人は、上だけ細いフレームのある眼鏡をかけていて、浅黒く、腹が出ている。慣れた手つきで、女の子を抱っこしてゆく。いつも、首の伸びたTシャツを着て、寒くなってもしばらく半袖と短パンの、スポーツ刈りで額に横皺の深いお父さんが、たしか年長組の、三つ編みの長いおませさん、手をつないで笑ってた。小太りで、濁った目と表情の無い、たぶんわたしとおなじくらいの歳なのに、化粧してなくて、シニョンから髪の跳ねてる人、暗くなってからお部屋の中で一人で積み木してた坊主頭のかわいい子、一眼見て、疲れた微笑み、それからスッと元通りに、男の子はたぶん照れていたから、服の裾を握って帰った。切れ長の目と、鼻は低く団子になっていて、耳が潰れているのは柔道をしていたからだっけ、みんなと一緒に快活に楽しんでいて、筋肉質な身体付きが香ってくる、なのに、たまに、誰も見ていないところで、考え深げにまどろんでいる姿、大きな口の笑顔と別人がすぎるから、忘れられない。いい先生。知りたくなるけど、ほかの先生に尋ねたりしたら、色気付いてるって噂を流されるから、本人に聞くのもためらって、悶々として、雪はかたまってゆく。でも、記憶にある顔は、頭のなかで美化されている。


 しばらく歩いて、なんだか楽しそうな、はしゃいだ子どもの声と、男性の厚い声がうっすら聴こえて、たぶん道なりに行けば、誰かいる。聴き覚えのあるような、無いような。低くて、どこの訛りだろう、語尾の高く伸びる独特のイントネーションで、よくお父さんお母さんたちからも、からかわれる、は、は、は、と大きく、何もなくても笑う人。それは、たぶん中村先生。身体の丈夫な人は、みんな声が大きい。元気が余っているのか、家族の前だからか。優しくて、家族思いの、いいお父さんだろうが、性格の穏やかな人は、人前でだけ良い人で、裏だと陰険だったりするし、あの思案顔は影がありそうで、そんなところに惹かれていた。ふうん、お子さん、いたんだ。声だけだからよく分からないけれど、たぶん、もう小学生くらいなのかな。しっかりしゃべって、走ったりして、元気そうだから、もうきっと大きい。ご近所さんだったんだ。結婚してたんだ。ふうん。


 買い出しをやめようかな、遠回りしようかな、帰ろうかな。一人の部屋、あの人も、誰もいなくなった、薄ぼんやりした広い部屋に。いや、でも、帰るのも面倒。回り道して、必要なものだけ買って、それで終わろう。マフラーに口元を埋めて、湿った暖を取って、安心して。


 回れ右をして、目の前の大きな木に、枯葉と見間違えたが、小さな蛹があった。運が良かったんだろう。ちょうど太い枝の下で雪をまぬがれ、このまま何事もないうちに、春まで眠って越冬し、朗らかな気候に雪解けとともに目覚め、濡れた美しい翅を広げ、どこへなりとも行ってしまえる。過去も苦労も忘れ、悲しくないよう消してしまい、新しい人を求めて、芋虫だったことを微塵も匂わせず、小首を傾げて微笑み、誰かと一緒にぬくむんでしょう。そうして産まれた子供は、きっと可愛いんでしょう。わたしから去っていったのに。蛹は、そんな素晴らしい日々の夢を見ている。


 木に張り付いた蛹に、地面からすくった雪を少しだけかけてみると、思っていたよりもずっとしっかりくっついていて、でも、怖くなって、駄目にしてしまわないように、雪を恐る恐る払った。蝶になれない子は、雪の下に埋もれて、明るい日の目を見れず、中身は黒く腐って、虫に集られ、死んでしまうから。


 雪が、また、強く降り始めたので、手に持った傘を広げ、蛹が駄目にならないよう、その上にさして、木に立てかけた。これでどうなるわけでもないけれど、なんだか、こうしたかった。生まれ変われない蛹は、部屋の隅の暗がりで、静かに腐ってゆきます。あの人も、その人のことも、時間とともに、だんだん消えてゆきます。


 子供と父親の楽しそうな声が、徐々に遠ざかってゆくのは、わたしが急いで歩き出したから。どうか、お幸せに。綺麗に、生まれ変われたらいいね。
【石丸】


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