自分と周囲を客観視出来る事が解放への入り口だった
信頼できる人が1人でもいれば
人は何とか生きていける
幸いなことに、私には祖父母の他にも信頼できる大人が存在した
その中で特に大きかったのが叔母の存在だった
血のつながりはない
父の弟の奥さんだった
その人はなんというか、常に感情がフラットな人だった
いつも優しく微笑んでいるが
人に媚びるようなところはない
むしろ他者に対しいつも冷静な眼差しを向け
よくも悪くも公平に世の中を見ている
そんな印象のある叔母だった
この叔母がとにかく私の話をよく聞いてくれた
おそらくはもともとおしゃべりなタチの私
亡くなった祖母以外
ゆっくり話を聞いてくれる存在がいなかったので
嬉しくなってたくさん話をしていたのだと思う
その話を否定するわけでも肯定するわけでもなく
スポンジのように叔母はひたすら聞いてくれた
時に大きな声で笑いながら
また時には目を丸くしたりしながら
聞き上手な人だったのだと思う
普段は遠くに住んでいて
会えるのは1年に1回あるかないか
そんな私に
叔母は長電話をすることをいつも許してくれた
一緒に暮らしていた祖父は
友達との長電話はしかめ面で制限してくるが
叔母との電話は許容してくれていた
私の健全な成長にとって必要な事だ
と認識してくれていたのだろう
中学生になり思春期に入ると
1週間に1回は
必ず叔母に電話をするようになっていた
そこで友人のことや恋愛のこと
読んだ本の話など
長々と話をするのが本当に楽しみだった
そしてここからが
私にとってとても重要な話になるのだが
叔母と話す中で
ふと父についての話になった
その時叔母が
ごく軽い調子で
「貴女のお父さんはかなり変わってるものね」
と言った
これは当時の私にとって
なかなかの衝撃的な発言だった
「変わってる?そうなの?」と思わず聞き返した
叔母はすかさず
「そうよ。貴女のお父さんはとても変わってるの。」
と
実にフラットな調子でさらりと言ってのけた
人はどのタイミングで
実の親を客観視出来るようになるのだろう
そしてその瞬間は同時に
自分自身そのものを客観視出来るようになる
その入り口なのだと思う
大好きな叔母は
友人でありカウンセラーでありメンターでもあり
救世主でもあったのだ
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