見出し画像

易経と古代中国史6  神農と商業

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

易経の理解に役立つ古代中国史のトピックをご紹介します。

前回、中国古代神話の帝王 神農が人類に、
① 農耕を教えてくれたこと、②医薬を伝えたことをご紹介しました。


その続きとなります。

人類が農耕を営むようになってから、生活は定住的になりました。

生活が定住的になることで、ある場所では特定の穀物がたくさんあり余るがが、別の穀物、肉魚は何もないというように、生活の不便が目立つようになります。

⓷ そこで、神農は、人類に市場をつくらせて、必要なものを互いに交換させるようにしました。
市場は、開始時刻と終了時刻が決まっている必要があります。

ところが当時は時計がなく、人々は時刻を知る手立てがありません。かといって、一日中、生産活動をなげうって市場で待っているわけにもいきません。
そこで、神農は、自分の管轄下にある太陽を基準とし、太陽が真上に来たら取引を行い、その時刻が過ぎたら市場を閉じることを教えました。

このアイディアは、64卦の火雷噬嗑の卦のカタチをヒントに導き出したといわれています(※1)。

火雷噬嗑は下記の卦。

太陽が上にある。すなわち日中です。


下の卦は震

動くという意味です。

日中に人々が動いている様から市場というアイディアを生み出しました。

④このように農耕により生産余剰物が生じ、交易がはじまると、人類の生活は、狩猟時代の牧歌的なものから、より複雑となってきます。

そうすると伏犠が発明した八卦では錯綜した世界を表現しきれなくなります。

そこで、神農は八卦を重ねて64卦を作ったと伝えられています(※2)。

以上、伏犠、女媧、神農が世界を修めた時代があったと中国の神話では伝えられています。
これを三皇時代と言われています。

この後、歴史は5人の聖人、五帝が世を治める時代へと移っていきます。


<参考文献>
「古代中国」貝塚茂樹、伊藤道治
「中国の神話伝説」袁 珂 (著), 鈴木 博 (翻訳)

※1)繋辞下伝2章
「日中に市を爲して、天下の民を致し、天下の貨を聚め、交易して退き、各々其の所を得るは、蓋し諸を噬嗑に取る。」(本田濟「易」577頁)

※2)本田濟「易」11頁
ここに関しては64卦も神農ではなく、伏犠が作ったという学説もあります。
この説は、以前ご説明した伏犠[ふっき] は、縄を結び付けて網を作り出すアイディアを、64卦の離為火の卦のカタチをヒントに導き出したのだからと説明します。

一方で、64卦は神農が発明したと考える学説は、伏犠は八卦を発明しただけであると考えます。伏犠は、縄を結び付けて網を作り出すアイディアを人類に教えたと易経繋辞下伝には書かれています(本田濟「易」576頁)が、これは八卦の離のカタチをヒントに導き出したと説明することになります。


*なお、今まで紹介した易経に関する歴史の話、占例、小話の一覧をまとめたものを下記サイトにリスト化しています。一部アメブロの記事ですが広告が入ってしまいます。今後、少しずつnoteに移転しますのでしばらくお待ちください。

該当する本田濟先生の「易」のページも記載していますので、ご本を読む際にお役立てください。




いいなと思ったら応援しよう!