渡良瀬十四『降る雨の如く』(文芸ムックあたらよ第二号・特集「青」掲載) 感想
“文芸ムックあたらよ第二号”に掲載された、第二回あたらよ文学賞受賞作の一つ、『降る雨の如く』(著・渡良瀬十四さん)の感想をしたためたいと思います。
なお、以下の文はレビュー(批評)と言うよりは、単に私が感じたことを思うがまま書き連ねた感想文となります。ご承知おきください。
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まず、作品全体のしっとりとした雰囲気が何よりも素敵でした。
降り続く雨、命の樹の緑、薄れゆく希望と、その中に芽吹く優しさ。
この作品を構成するすべてが美しかったです。
小説という媒体は音楽などと違って目を閉じて楽しむことは難しいですが、私はこの作品を読み進める途中、何度か目を閉じてその情景を頭に浸透させました。
目を閉じると、美しい森が広がります。そして汚れた雨が降ります。
そのすべてが、私の心には美しく映りました。
表現法も魅力的でした。
体言止めや連用形中止といった文章法が独特な空気を作り上げていました。
一般的には読点を打つ箇所に句点が打たれていることも多かったですね。
一つの言葉が作中で反復され、一度目と二度目で意味合いが変化している…という技法が好きなので、「私には確認できなかった」の一文、痺れました。
最初は何気ない過去の1シーンのように書かれていた「窓からの光が畳の上に陽だまりを作っていた時間」が、最後には「とても大切な陽だまりのような時間」になっていたのも、なんて素敵なんだろうとうっとりしてしまいました。
また、時系列をあえて崩したり、場面転換を多用したりすることで、時間の連続性が途絶え、結果としてスムーズに前に進んでいないような感覚を与えているのも見事だな、と。
作中全体に漂うこの寂静とした雰囲気と、どこまで行っても完全な解決には至らないのではと思わせる閉塞感には、正にこの非連続的な時間処理の構成が一役買っているのだと感心しました。
断続的な雨も、時が未来へ進むのを阻害しているように感じられます。
「外は雨になっていた」→「翌日ようやく雨が上がる」→「また小雨が降り出してきた」→「明けて朝から雨」
…「ずっと雨が降っている」よりも、どうにもならない鬱屈とした閉塞感があるように思えます。
世界観とキャラクターの過去が少しずつ明かされていく構成も素晴らしかったです。
なぜ母の死亡日がはっきりしないのか?
なぜ母は村の人々に嫌われているのか?
なぜ母は死を受け入れたのか?
最初の3ページ程度で提示された疑問の答えが明かされる度に、この世界の現状、この村の真実、そして主人公の存在が明確になっていく造り、見事です。
そしてキャラクターと言えば、少年と助手さんの関係がすごく好きです!
華奢で色白な少年と三十程度の小柄な女性という組み合わせがまず好きです。(ここは100%私の趣味ですが…)
恐らく助手さんは「私があっくんを守ってあげないと」と思っているのでしょうが、実際は逆で、少年が助手さんを精神的に支えているのが実状なんでしょうね。
そばに大型犬が居ない時の助手さんは幼く見えたと主人公は言っていましたが、少年もそれに気付いていて、大型犬よりもっと大きな存在になりたかったのかな…と。
二人の関係性がすごく好きです。
それからこの作品、「青」というテーマの使い方も凄いなと思いまして。
作中で一度も青が出てこないんですよね。
ただ、昔は青かったらしい、今はどうか分からない…そんな地球という星についての物語が書かれる。
それなのに、青という色を前面に表した他のどの作品よりも「青」というテーマが深く心に刺さりました。
そして、タイトル。
最後の一行を読み終えた後、もう一度タイトルを見返しました。
『降る雨の如く』
もう、これしかない! という感じですね。
この作品にこれ以上のタイトルは付けられないと思います。
思うがままに書いたところ、感想ともレビューとも付かない雑然とした長文となってしまいました。申し訳ありません。
私は、初めて拝読した日から、この作品のことばかり考えています。
心の中にまだ、雨が降り続いています。
彼女たちが住む地球も、青いと良いなぁ。