日本史における84年の奈良時代② 南都六宗は花盛り
奈良時代は日本が国家として確立していく重要な時期である。蘇我氏と聖徳太子の改革、大化の改新による律令制度を経て、天皇を中心とした国家体制が次第に整っていく。もちろんトントン拍子に進んでいくはずもない。試行錯誤を繰り返しながら社会体制は出来上がっていく。物事の黎明期はドタバタすることが多い。奈良時代も律令制において基本となる土地の所有に関してはコロコロ変わるし、権力争いは付き物だが、藤原氏と反藤原氏は激しい政権争いを繰り広げる。科学が無い時代、病気、天変地異や不幸な出来事は祟りや怨霊のせいにしてしまう。そこで重要視されるのが宗教であり、仏教が勢力を拡大する時代でもある。
日本は元来神道の国で、538年に仏教が日本に正式に入ってくる。仏教は紀元前6世紀ごろのインドの釈迦の教理であり、釈迦の死後もインドー中国ー朝鮮で多くの弟子たちが研究して矛盾を解決してきた。そのため膨大な経典が生まれ様々な宗派に分かれて日本へ伝わってきた。当時の日本は進んだ文化を持つ大陸から学ぼうとしていた。いかにも日本人らしい姿勢だ。
奈良時代に栄えた代表的な仏教の宗派は以下のとおりである。
平安時代に入ってこれらは南都六宗と呼ばれた。
★三論宗 中国隋の嘉祥大師吉蔵の思想、元興寺と大安寺が中心
★成実宗 後秦の鳩摩羅什が漢訳した成実論、三論宗の付属宗派
★法相宗 玄奘三蔵がインドから伝えた唯識説、興福寺、薬師寺
★倶舎宗 玄奘三蔵が訳した阿毘達磨倶舍論 法相宗の付属宗派
★華厳宗 大方広仏華厳経、本尊は毘盧遮那仏、東大寺が大本山
★律宗 戒律の研究・実践 鑑真により伝わる 唐招提寺が総本山
これらは中国の大乗仏教の宗派なのだが、対立することなく、修行ではなく学問として学ばれた。遣唐使により多くの僧が中国に渡り日本に伝わった。最も栄えたのは法相宗で玄奘三蔵は西遊記のモデルになった伝説の法師だ。鑑真の様に中国から渡って来た僧もいる。戒律とは僧になるために守るべき内容で宗派に関係なく学ばれた。東大寺の大仏は正式には毘盧遮那仏で、聖武天皇は仏教の力で国を治める鎮護国家を目指していた。
奈良時代の平城仏教は栄えたが、大きな勢力を持ったため平城京は捨てられる運命になる。特に大きな事件が起こり、都は平安京へと移るのだ。
それは次回に。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 10月20日(日)】