動画で知る「M&A=第三者事業承継」~私が家業を託せる人を見つけられた理由
石川県白山市の豆腐店「山下ミツ商店」の山下浩希さんは2021年10月、30年以上にわたって経営してきた会社を、茨城県取手市を本拠地とする同業の「染野屋」に売却しました。後継者が不在だったことが一番の理由でしたが、人生をかけて育ててきた会社を譲り渡すことには、大きな葛藤が伴いました。山下さんのドラマを前後編の動画にまとめました。
前編
前編(8分33秒)は、以下の2章で構成されています。
・「後継者問題」
・「M&A=第三者承継を考えるまで」
後編
後編(12分57秒)は、以下の3章です。
・「M&A=第三者事業承継したい相手を見つけるまで」
・「M&A=第三者事業承継の交渉」
・「M&A=第三者事業承継を振り返って」
山下ミツ商店・山下浩希さんの歩みについて、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
山下ミツ商店を買収した染野屋・小野篤人さんの記事はこちらです。
増加するM&A=第三者事業承継
近年、親族や従業員以外が事業を引き継ぐ第三者承継が増えています。背景にあるのは、後継者問題。帝国データバンクの調査によると、後継者が「いない」または「未定」と答えた後継者不在企業は約15万社にのぼり、全体の57%を占めます。
M&A仲介やマッチングを手掛ける会社の認知度が上がり、第三者承継を「選択肢の一つ」と考える経営者も増えてきましたが、家族や自分の歴史を刻んできた家業を第三者に譲ることには苦悩が伴うのに加え、承継後にそれまで予期していなかった変化を会社や従業員が迫られることへの不安感があることも事実です。
山下さんから小野さんへの承継が特別なのは、山下さんが「会社の継続と発展を託せる、あこがれの経営者」である小野さんに、幾多の迷いを乗り越えて、会社の譲渡を決心したところ。通常のM&A仲介やマッチングとは異なる道筋が、お互いの信頼を育み、より良い事業承継につながっていく。後継者問題に悩む経営者の方々に、この動画を通じて、こうした方法が存在することを知っていただきたいと考えています。
30代や40代の経営者さんにとって、もしかすると50代の経営者さんにとっても、後継者問題は遠い将来のことに聞こえるかもしれません。
でも、いつかは誰もが決断を迫られる時が来ます。山下さんの歩みと家業への深い思いを知れば、家業に対する今の思いがよりシャープになる。第三者承継が「選択肢の一つ」になっていけばいくほど、そのなかであえて家族が事業を継いでいく意義が一層、重みを増していきます。
山下さんはどんな人?
山下さんが、祖母の創業した「山下ミツ商店」を継続、発展させてきた数十年にわたる奮闘と、後継者難から小野さんに事業承継するまでの苦悩と決断は、こちらの記事で詳しく書いていますので、ここでは最近の山下さんの言葉をいくつかご紹介します。
2021年10月の事業承継後、山下ミツ商店は染野屋のグループに入り、社長には小野さんが就任。会長となった山下さんはそれまで通り、国産大豆100%、天然にがり100%のこだわりを維持し、名産の「堅とうふ」や「おぼろとうふ」「絹とうふ」「木綿とうふ」などを手作りし続けています。
グループ入りして変わったのは、染野屋の持つ移動販売ノウハウを生かせるようになったこと。移動販売車ごとに綿密な販売計画を立ててエリアを回り、定番商品をそろえつつ、顧客を飽きさせないように商品構成をこまめに入れ替えていくといった手法です。
新たに従業員を雇い、移動販売車も増やして、22年5月に金沢営業所を開設して、石川県内の主要地域をカバーする体制を整え、23年11月1日には富山市に富山営業所も開設。染野屋のグループに入ったことで北陸3県、新潟県へと販売エリアを拡大していく計画が着々と進んでいます。
「最初に計画を聞いた時には『本当にできるの?』と思ったが、着実に進んでいて『これは実現できるぞ』と感じている」。山下さんはそんな手応えを得ています。
事業承継後、山下さんは周囲から「さみしく感じることはないか」と聞かれることがあるそうです。山下さんの答えは「一度もない」。
なぜなら、小野さんとの信頼関係の下、山下ミツ商店という屋号や歴史とともに、長年こだわってきたお豆腐の製法、商品ラインアップが認められて変わることなく引き継がれ、従業員や工場設備、店舗もそのまま維持されたから。そして、なにより後継者難から家業を廃業する事態を避けられ、自分が思うように成し遂げられなかった事業の維持、発展へと動き出しているからです。山下さんは最近、「自分は本当に運が良い」と感じているそうです。
小野さんはどんな人?
小野さんのこれまでの歩みは、こちらの記事で詳しく紹介していますので、ここではダイジェストでお知らせします。
染野屋の創業は、江戸時代末期の文久2(1862)年。歴代当主は「半次郎」を名乗り、小野さんは八代目にあたります。
茨城県取手市のサラリーマン家庭に生まれた小野さんにとって、染野屋は近所にある「普通のお豆腐屋さん」。幼なじみと婚約した時も、相手の実家が染野屋であることは知っていたものの、家族経営の小さな店舗だったから継ぐことになるとは思いもしませんでした。
しかし、結婚して間もなく義父が急死したことを受け「染野屋を継ぐ」と決意。親族から「1000万円ぐらいもうかるらしい」と聞いていましたが、実際の売上高は年間300万円ほどでした。
このままでは家族を養っていけない。小野さんは、原料を国産大豆と天然にがりに変え、豆腐1丁を110円から200円に値上げしたのを機に、近所を回って豆腐を売り歩く移動販売を発案。味もさることながら、お客さんとふれ合いながら販売する手法が支持を得て、売上高は8年ほどで10億円に達します。
「あとはこの仕組みを全国に敷き詰めていくだけ」。会社は上昇気流のまっただ中でしたが、小野さんは途端に先が見えたような気がして、自分の熱量が下がっていくのを感じていました。経営を軌道に乗せるため追い立てられていた日々が去り、新たに自分を奮い立たせてくれる何かを探していたのです。
長女の誕生をきっかけに、地球環境問題への関心を深めた小野さんは、たんぱく質の宝庫である大豆を原料に、お肉のように食べられるおかずを開発、浸透させて、持続可能な社会を作ることを、自らの新たな「使命」にすることを決意します。
100%植物性の大豆ミート「ソミート」の展開に加え、土壌を豊かにするため、あえて畑を耕さない「不耕農法」による大豆の無農薬栽培など、新たな挑戦を次々に繰り出しています。
また、自社で育てた従業員たちを、後継者難で廃業を考えている豆腐店に派遣し、事業を承継するプロジェクトも進行。山下ミツ商店に続き、22年にはスペイン・バルセロナの豆腐店も引き継ぎ、海外展開も本格化させています。