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『小さな海』

閉店作業を終えて
店の灯りを落とすと

闇の中
アクアリウムが鮮やかに浮かび上がった

小さな世界を
右に左に
泳ぎ回る魚たち

この子たちにとれば
ここが全てだ

「海も知らずに……」

そう呟いて

わたしは思わず水槽の
空気ポンプのコードを抜いた

ブ〜ン……
動くのを止めた心臓のように
低く音を外しながら
機械の唸り声がゆっくりと落ちていく

酸素の泡が
勢いを失くして
消えていく

動揺でもしているのか
右往左往
魚たちの動きが
突然早くなる

「嗚呼、いやだ! 」

わたしは小さく叫んで

今度は照明のコードを抜いた

途端に店内が
    夜になる

みっともないと思った
見たくなかった

毎日
小さな世界を行ったり来たりしているだけではないか

そう
まるで……わたしのようだ。

そう思った瞬間

不意に別の思いが問いかける

「それのどこがいけないの? 一生懸命生きているんだよ?」

朝になったら
きっと
力尽きて横倒しになった小さな死骸が
いくつもいくつも
浮かんでいることだろう
突然生きることを奪われた魚たちの。

急に涙が込み上げ

わたしは急いで
2本のコードを差し込んだ

小さな世界に灯りが灯り
命を取り戻す

酸素の気泡が
祝杯の泡のように踊り出す

魚たちは
小さく身慄いをすると

また
何事もなかったように泳ぎ出した

「水槽の水、こんなに青かったっけ?……まるで海じゃん」

自分の言葉にハッとして

わたしは思わず笑いながら
少しの間
泣いた


そして
全てが
愛しくなっていた





2025'  1/26











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