自己分析その1
最近とある(絶大な尊敬を置いている)大学の先生と話す機会があった。
その内容とは、僕が見せる「自己肯定感」の低さ、についてである。
僕はよく、「わかんないけど」とか、「僕なんか」といった枕詞をつけて話すことが多々ある。それには「おれなんかが意見していいのかわからないけど一応言わせてもらうね」といった意図が含まれている。
話は少し変わるが、僕は自信満々の人をみると「こいつだいじょぶか?」と少し馬鹿にした目線で見つめるとともに「いいなぁ」と思うことがある。
どこまでも自信がない僕にとって心から自分の意見をいえる奴は羨ましく、同時に強烈な嫉妬から蔑む。
この性質の根源がずっとわからず、半ば諦めていたのだが、今回少しだけ自己理解が深まったと思ったので一筆。
僕はなにかと興味の矢印が変わりやすい。「すごい」と思うものの対象が変動しやすいという方が正しいかもしれない。
今まではそれもなんだかブレブレな感じがしてすごく嫌だった。今はそんなことあんまりないのだが。
まぁこれに関してはけっこう見られる(特に男子に)事なのでまだいいのだが問題はここから。
ぼくはどうやら、新しいことを始める、信じる、認めると、それまでやっていたモノ、信じてたモノ、認めていたモノを徹底的に否定してから移行する傾向があるらしい。
今まですごい人だと思ってついていった人も新しい人に出会って、そちらの価値観が少しでもいいなと思うや否や、僕は「何をやっていたんだろう」という虚無感に襲われる。
自分がやっていたことに対してもそうだ。僕は高校の時、バスケ部のキャプテンを務めていた。当時僕のいたチームはそこそこ強く、そこでキャプテンを務めていたことに僕は誇りを持っていた。
しかし、大学に入り、価値観が広がり、キラキラしている大人たちを見て、僕はすぐに自分がやってきたことなんて無意味だったと結論づけた。
なるほど、自分に自信がなくなるわけだ。僕が新しいものを始めるたびに過去の僕が否定されて、それまで積み上げてきたものを崩し、「何もない自分」に逆戻りしてるんだから当たり前だ。
なにかを始めることは今までの自分の否定ではない。今までの積み重ねがあって今の僕があるわけで、その積み重ねがなければ今考えていることすら考えられない。
こんな簡単なこと、知っていたけど、まさか僕自身ができていないなんて夢にも思わなかった。びっくり。
元々僕らはチンパンジーなんだ。だったら否定しすぎてちっとも成長しないお猿さんより、少しでも積み重ねの多い、色んな経験値のあるホモ・サピエンスぐらいにはなりたい。
だからぼくは思う。部活のキャプテンやってくれてありがとう。あの人にがむしゃらについていってくれてありがとう。おかげでぼくはまた次のステップに進めるよ。