恩師の言葉の意味を理解するまでの話
「どこで学ぶかじゃなくて、何を学ぶか、だからな」
高校時代の先生は、私にそう言った。
その言葉を聞いた時私は、慰められていることへの悔しさで涙が出そうになるのをぐっと堪えながら「はい」ということしかできなかった。
高校卒業を間近に控えたあの日、第一志望の大学に合格できなかった私は浪人することを決断した。
同級生が、どこの大学に行くとか、一人暮らしがどうとか話しているのを他所に、私は来年の受験のことを考える。
勉強はすごく出来るわけじゃないけど(だから落ちた)、嫌いではなかったから、もう1年くらい頑張れる。そう思っていた。
結論から言うと、そんな簡単なことではなかった。
私なりに頑張ってはみたものの、なかなか結果は伴わず、やる気と自信はどんどんなくなっていった。
気晴らしにお茶に誘ってくれた友人に「勉強向いてないんじゃない?」と笑い飛ばされた時は絶交しようかと思うくらい腹が立ったし、「ちゃんとやってるの?」と言ってくる親に当たってしまったこともある。
自分が決めた道で、自分の所為で今この状況なのに、周りに対してイライラしている自分のことがどうしようもなく嫌だった。
そんな状態で受験に挑んだものだから、当然のようにボロボロの結果だった。
不合格の文字を見るたびに、虚無感に襲われた。
滑り止めで受けた大学に一応は受かったけれど、1年間みんなより余分に勉強して、それでここに行くのかと思ったら、やるせない気持ちになった。
今でこそ、この大学を第一志望にしていた人たちにものすごく失礼なことを考えていたなと思うけど、当時は自分以外の誰かのことなんて考える余裕はなかった。
そう思わずにはいられなかった。
そうは言っても結果は結果。
母校の先生から、受験が終わったら結果を報告しに来るよう言われていたので、仕方なく私は母校に向かった。
良い結果だったなら足取りも軽かったのだろうが、浪人したくせに第一志望どころか軒並み落ちました、なんて、情けなくて腰が重い。
ばっくれたくて仕方なかったが、根が真面目な私にはそれができず、きちんと先生に会いに行った。
その時に言われたのが冒頭のこの言葉だ。
自分としては、努めて冷静な心持ちで先生に会いに行ったつもりだったのだけれど、どうにもやさぐれていたというか、受験疲れが顔に出てしまっていたのだろう。
いつもは生徒に軽口ばかり叩いている先生に気を遣われた。それだけで、自分がどうしようもない存在に思えて仕方なかった。
あの日見た、涙で滲んだ教科準備室の景色は今でも脳に焼きついている。
どこで学ぶかよりも、何を学ぶかの方が大切。
理屈は理解できても、すぐにその言葉を飲み込むことはできなかった。
と、吐き捨てたい気持ちを飲み込み、ただ「はい」とだけ言って、私は母校を後にした。
己の無力感を胸に入学した私であったが、何も自暴自棄になったわけではない。
親に学費を払ってもらっている手前、それを無駄にはできないし、既に1年棒に振ってしまった私に猶予はない。
この大学で春学期を過ごしてみて、それでも納得できなかったらもう一度受験しよう。
私は仮面浪人するつもりで大学生活をスタートさせた。
だがしかし、そう上手くいかないのが人生というもの。
まず、大学生は思ったよりも暇じゃない。
私は実家暮らしだったので通学時間もそこそこ長かったし、日々出される課題は簡単なものではなかった。
何故ありとあらゆる創作物で文系大学生は暇そうに描かれているのだと愚痴りたくなる。
あろうことか、気まぐれで課外活動にまで手を出してしまったものだから、もうまとまった勉強時間を確保する余裕なんてない。
結果的に、私は目の前の大学生活に集中せざるを得なくなった。
まぁ、大学生としては正しい姿である。
そんな気持ちがあったから、仮面浪人が頭をよぎりつつも、大学の授業は割と真面目に受けていた。
志望大学ではないとはいえ、少なからず興味のある分野の学科に入ったわけなので、授業の内容も存外面白い。
課外授業では、他人と作業する時の立ち回りとか、物事を進める時の段取り方とか、授業だけでは得られない学びがあった。
入学当初こそ、どうせ仮面浪人なんだから友だちなんていらないと一匹狼を気取っていたが、社交辞令の「仲良くしてください」を真に受けて話しかけてくれた子のおかげで意外なほど交友関係は広がった。
知らず知らずのうちに、私の周りにはいつも誰かがいた。
いつの間にか、大学が楽しくなっている自分がいた。
この期間で納得できなければ本格的に受験勉強をする。
そう決めて過ごした春学期は、あっという間に過ぎていった。
私は、仮面浪人するのを辞めた。
仮面浪人する理由なんて、もう無かった。
大学生活の4年間で、私はたくさんの学びを得た。
授業で先生から教わることはもちろんだけど、授業を通じて自分なりに考えを巡らすこと、誰かに自分の考えを理解してもらうための努力、課題を達成するために最後まで粘ること、やり切ること、やり切った後に振り返ること……
そういうこと全部含めて、学びだった。
入学した頃からは考えられないくらい、充実した4年間になった。
あの頃の私に伝えてあげたい。
今はやけくそな気持ちしかないかもしれないけど、そのやけくそな感情も自分の一部だって認められる日が来るよ。
大学で学んだこと、社会人になってから一つも無駄にならないよ。
浪人時代に憂さ晴らしで始めたブログは、場所を転々としながらもずっと続く趣味になるし、もっとポジティブでどうでも良いことを書けるようにもなるよ。
あと、一匹狼をカッコイイと思ってるかもしれないけど、そんなあなたの社交辞令を真に受けた彼女はその後10年以上の付き合いになるし、彼女のおかげで友だちたくさんできるんだからね。大事にしろよ。
色々言いたいけど、やっぱり一番言いたいのは、
「どこで学ぶかじゃなくて、何を学ぶかだよ」
だと思う。
今なら分かる。あの時先生は、慰めなんかじゃなくて、本心でそう言ってくれたのだ。
……まぁ、慰めも半分くらいはあったかもしれないが。
私が、腐らずに大学生活を送ることができたのは、真面目に授業を受けて課外活動までやる気になれたのは、頭の片隅に先生の言葉があったからだ。
先生には本当に感謝している。
ちゃんと感謝を伝える前に先生は異動してしまった。もう会う機会もないだろうし、もし会えても照れくさくて話せないと思うから、この場を借りて感謝を伝えたい。
先生。
あの時、あの言葉をかけてくれて、本当にありがとうございました。
私は元気でやっています。