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「気持ちが悪いあいつは・・・」と言ってるうちは・・・
「あいつがなあ・・・。」
「あいつのせいで・・・。」
そんなふうに言っている間は本気ではない。
そんな「あいつ」は捨て置けばいい。
そんな低レベルな「あいつ」に左右されるような
チンケな己でいいのかよ?
己は「あいつ」になんか左右されない。
あいつは関係ない。
己が、どうするかだ。
あいつが困ってるなら、助けてあげればいい
あいつが使えないなら、カバーしてあげればいい
あいつが喜んでいるなら、共に喜べばいい
あいつが裏切るなら、切ればいい
あいつのせいじゃない。
「あいつ」のせいにしている自分のせいなんだ。
他人が気になってる間は本気ではない
自分自身が本気になった時、世界は変わる。
気持ちが悪い全ては「外部責任にした時」だ。
人生を自由にしたかったら、
全てを自己責任で思考し、自分で自由に判断する事…
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
口語訳
(祇園精舎の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。)
あいつも、己も、結局は儚く散る。
同じなんだ。
同じなのに、なんで細かいことでいちいちいがみ合うのか。
生きてる間が華。
せっかくだから、生を満喫しようじゃあないか。
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笑顔で、自分の人生を生きて行こう。
本気というものを、まだ出していないなら出してみよう。
無限のパワーが人間にはあるから。
その時、ネガティブなあいつなんて、いつの間にかいなくなっているぞ。
鈴木正行