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ビートたけしさんの祖母 義太夫のスター “北野うし”さんの出身地 徳島市通町(とおりまち)を訪問。 近くに瀬戸内寂聴さんの実家 瀬戸内神仏具店がある。

2025年1月3日

おはようございます。

トリリンガル讃岐PRオフィサーのモリヨシナリです。

本日は、徳島市通町(とおりまち)を訪問してきました。

JR徳島駅からですと通町までは、徒歩7分くらいです。

徳島藩の城下町だった通町には、ビートたけしさんの祖母で明治時代に義太夫の人気スターだった北野うしさんが暮らしていました。

通町から徒歩10分くらいのところには、瀬戸内寂聴さんの実家である瀬戸内神仏具店もあります。


JR徳島駅から通町2丁目にある事代主神社





徳島市通町の事代主神社から東大工町の瀬戸内神仏具店


ビートたけしさんと北野うしさんの関係


明治時代、徳島市通町で、粉問屋を営んでいた北野うしさんの父の商売が不景気でうまくいかなくなり、当時すでに義太夫語りとして実力のあった北野うしさんは、上京し、竹本八重子として活動を始めます。

東京で人気スターとなった北野うしさんは、その後引退して子供をもうけます。

その子は明治大学を卒業し、会社員として働いていましたが、小宮さきさんと結婚します。この北野さきさんが、ビートたけしさんの母親です。ところが、北野うしさんの息子は、急逝してしまうのです。

そこで、北野家を残したいうしさんは、自分の甥の正端菊次郎さんを養子に向かえ、北野さきさんと結婚します。

この北野菊次郎さんとさきさんの子供が、北野大さん、ビートたけしさんです。

🔹北野さき
 ↓
正端菊次郎 - 小宮さき
 ↓
長男、次男、長女、北野大、北野武




ビートたけしの母 北野さきさん


動画


母の知られざるストーリーを知って涙ぐむたけしさん。



北野さきさんの家系図




ビートたけしの父 正端菊次郎のルーツは?


北野うしの甥 正端(しょうずい)菊次郎はその姓から、徳島県にあった勝瑞城(しょうずいじょう)の武士に関係しているという説もあるようだ。


漆塗り職人 正端菊次郎さん


北野菊次郎さんの家系図




北野うしとは?



🔹北野 うし

1873年(明治6年)9月 - 1963年(昭和38年)

女義太夫の太夫(語り手)。

ビートたけしら有名人を輩出した北野家の祖である。


1873年9月、徳島城下の通町で粉問屋を営む北野鶴藏の娘として生まれた。

実家は裕福な商家であったと伝えられる。

その後、女義太夫の太夫となり、芸名 竹本八重子を名乗る。

日本では明治20年代から30年代にかけて娘義太夫が大流行し、うしも花形の一人であったという。


折からの不況で家計を助けるために1892年に上京。

以後は東京各地の寄席に出演していた。

明治後期に娘義太夫を引退し、息子の徳次郎をもうける。


大正後期、成人した徳次郎は明治大学を卒業後セメント会社に勤務し、北野家はある程度裕福であったとされる。

この時期うしは義太夫の指導をしていたが、名家を訪ねたときに奉公に来ていた機転の良い娘を知り、養女にして息子の妻に迎えた。

この娘が小宮さき(千葉県市原市出身)で、1923年1月に徳次郎と結婚。

しかし同年8月18日に不幸にも徳次郎が虫垂炎に罹り急死したため、替わりにうしの実の甥で腕の良い漆職人(後にペンキ職人)正端菊次郎を1925年8月17日婿に迎え北野家を継がせた。


その菊次郎とさきの夫婦には、

北野重一(1927-2012、宇野製作所取締役営業本部長も務めた)、

大(明治大学名誉教授)、

末っ子の武(お笑い芸人のビートたけし)

ら合計で5人の子供(残る2人の内1人は中山(旧姓・北野)安子、もう1人は幼少期に末っ子の武の生誕前に死去)が生まれた。

うしはたけしら兄弟の父方の大叔母であり、母方の養祖母である。

さき、大やたけしの著書や発言によれば、菊次郎は仕事の腕が良い反面、酒癖が悪く浪費家で、菊次郎とさきの結婚後の北野家は貧しかったとのことであり、うしも苦労したという。

晩年にかけても家で義太夫の講師を務めたこともあったという。たけしは、自らの芸人の才覚はうしから受け継いだものだと語っている。


『菊次郎とさき』・『たけしくん、ハイ!』(以上ビートたけし著)、『なぜか、たけしの兄です』(北野大著)などの、北野兄弟による小説やエッセイに彼女が登場する。


1963年死去。

享年90歳。



女流義太夫の動画を観る




北野うしの出身地 徳島市通町(とおりまち)


明治時代、北野うしは、通町で粉問屋を営む北野鶴藏の娘として生まれた。

現在の通町を歩いてみると病院や喫茶店が多かった。以前は自転車店も多かったようだ。

粉問屋らしき店はなかった。



 

通町3丁目から1丁目に向かって歩いた。










イカリヤコーヒー店





昭和33年の徳島市通町の地図で北野家を探した

が、北野姓の家はなかった。

徳島市立図書館で一番古い地図を依頼したところ、昭和33年の住宅地図が一番古いということだった。

徳島市の徳島城博物館に行くと明治時代の地図があるかも知れない、と言うことでこの後、別件もあり徳島城博物館を訪れた。



通町3丁目、2丁目 (昭和33年)


通町1丁目 (昭和33年)


現在の通町



北野うしも訪れたであろう徳島市通町にある事代主神社

2丁目にある事代主神社は、明治5年に他所から勧進された。

北野うしは明治6年生まれ。

北野うしさんもこの事代主神社には訪れていたであろう。



事代主神社。2025年1月3日訪問



通町から瀬戸内寂聴さんが生まれた幸町



徳島市通町(とおりまち)の事代主神社から瀬戸内寂聴さんの実家 (徳島市東大工町)





プロフィール


モリヨシナリ

神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部留学マーケティング専攻。大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事。その後、香港、中国にて外資系商社の設立に参画し、副社長をへて顧問。その間、米国に2年、シンガポールに2年、中国に12年間滞在。

現在、Bizconsul Office 代表。ビジネス英語講師、全国通訳案内士(英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタントとして活動中。

・観光庁インバウンド研修認定講師
・四国遍路通訳ガイド協会 会員
・トリリンガル讃岐PRオフィサー

保有資格:
【英語:】
全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点(L満点)、TESOL(英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級、他
【中国語】全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級、他
【ツーリズム】総合旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド(瀬戸内国際芸術祭2019公式ガイド)、他






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