【二十四節気短編・春分】 午後五時の時計塔
1 春の時計塔伝説
『その奇妙な時計塔が現れるのは、昼と夜の時間が同じとなる春の日である』
とある港町で昔から広まる伝説だ。
その港町で育つ子供は、春になるとこの時計塔を探す子供達が多くいる。そして毎年、どこかで”実物を見つけた子がいる”と、噂話が小さく広まるも、実際に見た者はいなかった。
春の時計塔伝説の噂が栄える時期の事、もうすぐ十八歳を迎えるマードックは、伝説など構いなく将来の事について悩んでいる。
港町の子供達は十六歳から十八歳の間に進路を決め、早い者から順に仕事に就く。学校も就職による早期卒業制を容認している。しかし、卒業までいる者が多く、早期卒業をする子供は毎年指折り数える程度が殆どだ。
そんな指折り数える程度の早期卒業ではあるのだが、今年はマードックの友達や後輩たちは就職する者が相次いだ。
とはいえ、これはマードックと交友関係のある者達だけであり、例年通り早期卒業する者は少ないのは事実である。
こうも就職していく者が相次ぐと、マードックは就職するべきか悩んでしまう。
先に大人の仲間入りする友達の背を見ていると、残される自分が妙に情けなく思えた。だが、何かしたいわけでも、実家で継ぐ仕事もない。ここ最近、将来の事に悩む時間が増えてしまっていた。
だからだろうか、最近のマードックは釣りをしに海へ向かう事が多くなっている。
本日は晴天で風が心地よく、外気温も少し肌寒い程。釣り人専用に陸地からコの字で設けられた桟橋の角地点に腰かけたマードックは、呆然と餌に魚がかかるのを待った。
何分待っただろうか、それとも小一時間か。
まったく魚が釣れず、気晴らしで来たつもりが、更に悩める時間が増えている様に思えてならなかった。
なにも上手くいかず、その思いを深い溜息として吐き出した時であった。
周囲に空いている場所はいくらでもあるのに、中年男が隣に腰かけて釣りをし始めたのだ。
男の印象は、”筋肉の盛り上がりをみせる屈強な身体の持ち主”だった。
一応、人二人分程の間隔はとっているものの、近くに寄られるのは雰囲気や強い存在感を気にしてしまい、正直、今のマードックには勘弁願いたい思いが強くあった。
「あのぅ、このへん、全然釣れませんよ」
男が離れてくれることを願いマードックが言った矢先、男は開始早々魚を釣り上げた。
驚きを露にしながらも、男は手際よく魚を魚籠へ入れ、続けて釣りを始めた。すると五分ほどして、また釣り上げた。
「え?! どうして釣れるんですか?」
驚くマードックに、男は余裕の笑みを浮かべて釣りを続けた。
男の餌を覗き見ると、自分と同じミミズであった。
「ちょいとお願いしたわけよ。いっぱい魚が釣れますようにってな。ああ、勘違いするな、馬鹿にしとりゃせんよ。君は知らんか? 時計塔の伝説」
マードックは十歳になる前に時計塔の伝説はホラ話だと決めつけており、周りの友達が春に騒いでいても興奮はしなかった。以降、彼の中ではおとぎ話程度の話でしかない。
「昨年の春、突然街の中に時計塔が現れて、それに昇ったらすっごい風景拝めて。まるで神様の世界に着いちまったみたいだったから、ついつい願っちまったわけよ。作物いっぱい実って魚が釣れて食い扶持に困りませんようにって、そしたら昨年から願ったように食い扶持に困らないが続いてよぉ。今日もほれ、この通りよ」
「お金持ちになりたいとか考えなかったんですか?」
「一人だけ金持ったら角たつだろ。作物とか魚とか、仲間内に分けられるから金よりこっちの方が安全で皆いい思いできるだろ」
二重の驚きがあった。時計塔の伝説が本当にあった事と、昇ると願いが叶う事である。
もう八年以上も前に自身の中で抹消した興奮が、こうもあっさりと再燃するとは思ってもみなかった。
マードックはその日、一切魚が釣れず、男性に三匹だけ分けてもらい帰宅した。
2 時計塔へ
港町は石や煉瓦積みの建物が多く、港から離れた陸地には蒸気機関を用いた機械を使用して製品や食品を作る作業場がある。
石炭、石油、木材などを燃やす臭いや焼き菓子や料理の匂い漂う場所もあるが、全体通して蒸気が街を覆っていて湿度は高い。
マードックが貰った魚の入った魚籠を持ちながら悩んで帰っていると、今度は紳士服姿の初老男に呼び止められた。
「すまない君、一つ頼みたいのだが聞いてはくれないだろうか」
見ず知らずの他人に道中で何かを訊かれるのが初めてで、微かに警戒心を表情に出してしまった。
「そんな不機嫌な顔をしないでくれ。頼みというのは単純な事だ。あの時計塔の最上階に大事な婚約指輪を落としてしまったらしいんだ」
男の指さす時計塔は、すぐ近くにあり、時計の上には鐘がある。
「なら自分で取りに行けばいいじゃないですか。何で俺が?」
「気付いたのはつい先ほどで、昨日、足を怪我してあんな高い所まで登れなくなってしまったんだ。いつも作業中は指輪を所定の台に置いてある箱へ入れてるからそこしか考えられない。どうかこの通り、見つけてくれたら何でも願いを叶えてやろう」
まるで幼少の子供に言うような台詞だ。
なんでもというが、マードック程の年齢だと叶えるのに困難な願いを悪戯で言ったりすると思わないのだろうかと疑問であった。
「分かりましたよ。じゃあすぐ取ってきますけど、もし時計塔の管理者の人に何か言われても訳を説明してくださいよ」
男は喜んで御辞儀し、近くで待っていると告げた。
時計塔へ向かう途中、マードックは不思議に思った。
(何で俺、見知らぬ大人に約束してんだ?
あんな無理矢理な条件を本当に信じるのか?
俺、自分の意志で話したんだよなぁ……)
疑問ばかりが浮かぶ中、マードックはひと際高い時計塔を眺めた。
(あんなの、この街にあったっけ?)
悩みながらも、なぜか身体は時計塔へ向かっていた。
時計塔の中はマードックが思っていた以上に広々としていた。
壁伝いに設けられた螺旋階段以外何も無く、塔の最上階へ続く螺旋階段を見上げると昇るのに恐怖してしまいそうな気持にさせた。
「君、時計塔へ登るのかい?」
誰もいなかったのに突然声を掛けられ、マードックは驚いて声の方を向いた。するとそこには作業服姿(ツナギ)の、マードックより少し年下に見える少年が小さな木の椅子に腰かけていた。
入り口の死角となる壁沿いに居たから気付かなかっただけなのだろうが、妙にマードックは緊張してしまった。
「指輪を忘れたって……いう人の頼みで昇るだけ……だけど」戸惑いながら説明した。
「じゃあ、ついでにお願いしたいんだけどいいかい?」
正直な所、早くこの場を去りたい思いの強いマードックは、「なに?」と、何故か返してしまう。
「この階段の先に『歯車の部屋』があるんだ。塔の時計を動かす所だよ。その部屋から梯子が掛っていて、それを登った先に鐘があるから、それを午後五時きっかりに打ってほしいんだ。鐘の横にちょっと大きめの木槌があるから、それで叩いてくれればいい」
「どうして俺が? 鐘を打つのが君の仕事なんじゃ」
少年は包帯の巻かれた右手を見せた。
「昨日、手を痛めたんだ。左手だと上手く叩けなくて、以前怒られて。だからお願いしたいんだ」
マードックは悩んだ。
ただ、いつもならこのような立て続けに起こる面倒事を引き受けないのに、どうして今は返答に困りながらも悩んでいるのか不思議でならない。
「お願いだよ。あと三十分しか時間が無い」
「……分かったよ。鐘を鳴らせばいいんだな」
少年は安堵の笑みを浮かべた。
「ありがとう。鳴らすのは三回で、カーーン……、カーーン……、カーーン。って間隔でお願いするよ。音は結構大きいからそこだけ注意して」
説明を終えたマードックは、早速階段を登り始めた。
どうやら今日は奇妙な事に巻き込まれている気がしてならず、その渦中に自分もすんなりと入っているのは不気味でしかない。しかし、この流れを悪く思わない自分もいる不思議な気分でもあった。
突如少年が「待って」と叫び、マードックは歩みを止めた。
「途中で外の景色が見れるけど、気を付けてね」
「どういう事?」
「ごめん、上手く説明できないんだ。……けど、気を付けてね」
言葉の詰まりが妙に気になるも、何故かマードックは夕陽に照らされる少年の色合いというか、光と影の明暗が作る穏やかな雰囲気が安らいだ気持ちにさせた。
頭の中に少年の忠告が大して残らない中、淡々と螺旋階段を登ると、七割方登った所で不意に下が気になった。
こんな高さから下を見ればどれ程の位置にいるかは容易に想像できるものの、もう衝動か、怖いもの見たさといった感情かが働き、恐る恐る階下を覗きこむ行動に移らせた。
結果、一瞬見ただけで、あまりの高さに全身に寒気と恐怖が走った。
瞬時に視線を戻し、恐怖で高鳴る緊張を、ゆっくりと呼吸する事で抑えた。
最中、ふと思った。
少年が下にいただろうか? と。
見えた部分は入り口を含めたホール部分。マードックの死角となる部分にいるだろうかと疑わしく思うも、あり得る可能性なので深く考えなかった。
とにかく、もう少しで『歯車の部屋』に辿り着く。
現時点の怖い場所から離れたいマードックは、少し早めに階段を登りだした。
3 時計塔の鐘
『歯車の部屋』は、床に木板が敷かれていた。歩くとコツコツと音がする。
そんな些細な事にマードックが気付かないのは、大小様々な歯車と、金属の棒が組み合わさり、動いている構造に目を奪われたからである。
さらによく見ると、見たことの無い形の金物細工が使われている。
この、ほぼ歯車で形作られた大きな物体は、寸分狂わず統一された動きで時を刻むのに役立たれている。
いつも見る時計塔の内部を知るや、マードックは時が経つのを忘れてしまう程であった。
歯車の魅力から現実へ引き戻したのは、偶然傍まで寄った窓に鳩が止まったからである。
自分と歯車以外動くモノがいない中、突然現れた動物の影に意識が向いてしまった。
鳩を見ていたつもりが、いつの間にか外の風景に目が向いてしまい、今まで見たことの無いものが小さな窓を通して見れた。
白色混ざりの淡い茜色に染まる見慣れた街並みの中を、誰にも気づかれず、堂々と、のっそりと通り過ぎる何かがいた。それは、一言で表すなら“光”である。漠然と稚拙な表現だが、そう見えたのだから仕方がない。
それは噴水の水飛沫に陽光が反射するような、
それはまるで明るい所で宝石の山を見ているような、
それは絶え間なく波が揺らめく海面に陽光があたっているような、
何に反射しているか分からないが、数多くの小さな光が密集して煌き、何かを象っているようであった。
光の密度は様々で、一番多い所では、夕陽の差し込む納屋の、宙を舞った埃のような印象である。
『途中で外の景色が見れるけど、気を付けてね』
少年の言った意味はこれだと気付く。
本来ならこんなモノは存在しない。この港町で生まれ育って、今まで見ていないのだから無いと断言できる。
もしこの時計塔内でしか見れるなら、鐘を鳴らす仕事は人気の役目として競い合いが起こるだろう。そうでなくてもこの景色を見たいがために時計塔へ登る者はひっきりなしと思われる。
この不思議な何かに見惚れてしまうから時間を忘れないようにとの忠告なのだろう。恐らく過去にこれを見てしまったために鐘を鳴らせなかった者がいるのかもしれない。
しかし今のマードックの思いは別にあった。
“この光る何かの全容を見たい”
外で動く巨大な何かに魅了されたのは間違いない。ただ、しかし、マードックの意志はこんな小さな窓から覗きこんだだけでは一切満足しなかった。
今まで歯車に奪われてた心は、鐘撞場から光る何かを見るという意志に変わっている。もう歯車へ目移りすることなくマードックは梯子を急いで登った。
鐘撞場へ到着したマードックはさらに驚いた。なんと床が巨大な針時計だったのだ。ガラス張りであるため、時計の針を気にする必要はなかった。
(ここ、こんな感じだったんだ)
現在の時刻は四時五十八分。まもなく鐘を鳴らす時間だが、間に合った事に安堵した。
歯車にも外の光を見るのにも時間を費やしていないので、螺旋階段を登るのに時間が掛かったのだと思えた。
登ってすぐ近くの柱に、フックに掛けられた大きめの木槌を手に取ると、重みはあるが以外に軽い事に驚いた。
いよいよ光の何かを見ようとした時だった。
カチッ……。と、床の時計の長針が数字の十二を指し、午後五時になった。
光の観察よりも責任感が先に立ったマードックは、急いで木槌を振り上げ、右肩で右耳を、左手で左耳を抑えて鐘を叩いた。
カーーン……。
以外にも耳は無事と分かるや音が小さいのだと思い、少し間を置き、さらに力を込めて叩いた。
カーーン……。
やはりそれ程耳に影響はない。
最後は両手で木槌を握り、思い切り叩いた。
カーーン……。
耳は無事だが、音の余韻は長く続いた。
マードックは鐘に反射する夕陽に意識が向き、更には何やら別の光が反射したので振り返った。すると、そこには光の粒が密集して出来た、数頭の馬が象のようにゆっくりと横切った。
『まるで神様の世界に着いちまったみたいだったから』
誰かが言った言葉を思い出した。しかし誰が言ったか思い出せない。
思い出せないのはそれだけではない。
なぜ自分がここにいるのか、
なぜ自分はここに来ようと思ったのか、
誰かに何かを頼まれていた筈。
もう、記憶がはっきりしない中、一頭の馬と目が合うと、目の前が急に光に包まれた。
4 伝説はあり続ける
カーーン……、カーーン……、カーーン……。
いつも通り、鐘塔の鐘の音が町に響いた。午後五時を告げる合図だ。
一つも魚が釣れず、帰宅してからすぐに昼寝をしてしまったマードックは、二時間も寝入ってしまったのに溜息が漏れた。これで夜に中々眠れなくなってしまう。
今、何か夢を見ていたが一切記憶にはない。ただ、余韻のように何やら心洗われるような気持ちの良い夢であったように思える。とはいえ、結局覚えていないのだから余韻に対して記憶が無いのは悔しいものであった。
暫くして、『春の時計塔』を探していた妹が、不貞腐れた顔で帰って来た。どうやら今年も見つからなかったらしい。
十歳の妹達の噂では、春の時計塔を登ると、まるで天国の一部のような光景を拝めると噂されてる。
マードックの時代は不思議な体験が出来るとあり、両親は願いが叶うとされていた。
春の時計塔の真相は未だ解明されず、これからもされないのだろう。
それでも、けして人々の前に姿を現さず、誰かの夢に現れては消える。
曖昧な存在としてでも、この港町では生き続ける伝説であり続けるだろう。
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