【二十四節気短編・小雪】 先輩の代わり
1 不思議なバー
『人の気をひく魅力ある言葉』を上げるなら、【不思議】というのは上位に入ってもおかしくないだろう。
普通ではなく、良くも悪くも心を動かす。【体験】を続きに付けてしまえば、人々はいろんな世界を想像してしまう。
誰しもがなかなか遭遇することのない不思議体験。しかし、不思議の魅力も効果切れとなる条件が存在する。
不思議な世界において、誰もが不思議と思える状況下にて、不思議が切れる条件。それを満たした人物の話である。
その日は十一月の終わり。例年より寒く、秋らしい雰囲気が今年は早くに様を変え出している頃の事。大学生のセイタは先輩の頼みに逆らえず、突如バーテンダーの仕事をすることとなった。
”バーテンダー”と聞くと、酒の種類やうんちくを数多く知り、シェイカーを振ってカクテルを作り、客に素敵な大人の時間を提供する。などを想像してしまう者は多い。
しかし先輩は、バイト先のバーでは本物のバーテンダーが必要とする技術は必要ないと断言する。とはいえ、技術も知識もあれば良いと補足する。
安物のビールと酎ハイしか飲まないセイタにとって、技術も知識も無いていたらくにバーテンダーを請け負うのは苦しい仕事でしかない。だからといって、先輩の頼み事を断れない。それは、先輩が怖いからではない。
貧乏学生であるセイタに、よく飯を奢ってくれる存在が先輩であった。よって、先輩たっての頼み事は恩返しとばかりに今まで聞いてきた。先輩も良識がある人物で、無理な頼み事はせず、いかがわしい商売関連や裏社会を生きる者達と関係を持つ人物ではけしてない。だからセイタは安心して聞けた。
今回もその筈と信じ、仕事内容の詳細を聞くも、まず前置きとして告げられた内容に違和感を抱いた。
“このバーは不思議なバーで、変わった客が来店する”
もう、怪しさだけが際立ち、ヤクザ者が経営する危ないバー、危険な物品の密売風景、麻薬の存在など。いよいよ先輩は足を踏み入れたとすら抱く。
想像するだけで断る言葉が喉までこみ上げる。しかし、先輩への信頼が辛うじて押しとどめる状態でもあった。
真っ当な人間が実は裏であくどい事をしているというのも考えられるが、誰が見ても温和を体現したような先輩からは結びつかないと思うセイタの心境は、直すべき悪いところなのかもしれない。他人からすれば、危険な思い込みだと説教されそうでもある。
さておき、断る事が出来ずに不安と恐怖が内心を支配するセイタは、恐る恐る先輩の通うバーへと向かった。場所は意外にも先輩が住むマンションの一階。
一見して安堵できたのは、一階に並ぶ店のどこかだろうと思える状況であった。
従業員専用口は裏手にあり、人気の無い所から先輩に案内された。
いざ入ると、いきなりバーの中である。
当然入った所は客用の入り口ではなく、非常出口と書かれたどこにでも掲げられている緑色蛍光板の下だ。
先輩はセイタの為に店での【注意事項・十箇条】と記した紙を渡した。わざわざ夜更かしして作り上げた、と、語気強めな前置きが補足されてである。
1. 来店者は一人ずつしか来ない。注:一日の合計来店者平均は三人
2. 酒の種類が分からなければ、棚のリストを見て、そこにあるものを出す。(細かな品名を注文する客はいないが、種類だけは間違えるな。ビンにも種類は書いてる)
3. 客の話を聞く。ほどよく相談にのる。注:けして言い合いや反論はしない。客の機嫌を損ねるな。
4. 一人の注文数は一から二杯まで。(三杯目まで飲む人を見たことがない。見れればレア)
5. お金はもらわない。(理由はやれば分かる。客が代金の話を始めると、『この店はお客様の心の安寧を優先した店です。その意図は追々分かります』と言え)
6. 客層は様々だがけして驚くな。厳重注意:本当に様々だから驚くなよ!
7. 閉店時は勝手に灯りが薄暗くなる。それを合図に一時間以内に帰宅する。
8. 店の酒に手を出すな。持ち込みも禁ずる。
9. 身内仲間(例外なく誰であれ)呼ぶな。
10.店内清掃はしてもしなくてもいい。(”しない”という選択をすると言うことは、つまりお前は『楽を選択する人間』であるということであり、今後の付き合い方が変わる危険性を孕んでいるが、まあ気にしなくて良い。俺が頼んだ代役でもあるし、本来は俺の仕事を嫌々やらせているだけであって、お前は何も悪くはない。だから、もし、したいのであれば、部屋の隅にあるホウキとちりとりとぞうきんなどを使えば良い。注:ゴミは俺が出すから、集まったらホウキ等の傍に置いてくれ)
見るからに異様な店であり、質問は多々あるが、十番を読む限り、掃除はしなければならないということだけは嫌でも伝わる。
制服を預かり、仕事開始時間と終了時間、そしてできる限り掃除の仕方を教わると、本当に良からぬ者達が出入りする店でなさそうに思い、セイタはようやく安堵出来た。
ただ、帰宅時に表から見てバーがどこにもないのが奇妙であった。理由を訊こうにも、なぜか質問が頭から消えて分からずじまいであった。
2 初対応
セイタの実家は定食屋であり、中学生時は小遣い稼ぎで掃除を、高校時代には本格的なバイトを行い、掃除や整理整頓、接客の心構えはできあがっていた。ただし、先輩から前もって忠告されているのが、来店時の挨拶は声のトーンを抑えるようにとのことであった。
なにか払拭できず、理由も分からないモヤモヤした気持ちを抱きつつ、初バーテンダーとして店に立った。なにより、レジがないので本当にお代がいらない店だと分かるが、それで営業出来るのか、本当に真っ当な店なのか不安でしかない。
なぜセイタは、自身がここにいるのだろうかと、僅かばかりの雑念が生じてしまう。
緊張と不安が増長するも、開店して一時間が経っても客が来ず、色んな思いが沈静化する。
平均来店数三人という十箇条通り、本当に客が来ないことに驚きながらも、本屋で購入した酒の種類が書かれた本を開いて読む。
営業時間の暇なときはスマートフォンをいじっても、持ち込んだ携帯ゲームで遊んでも、学校の宿題をしてもいいと訊いているが、生真面目なセイタはどんな客が来るか分からないので、酒の種類、特にカクテルの種類は分かっていようと調べていた。
開店から二時間後の午後八時。
店の扉に備えられたベルが鳴り、静寂を破りセイタの緊張度数が跳ね上がった。
初客に戸惑うセイタが反射的に「いらっしゃい……ませ」と言うも、客の印象から言葉がつまり、最後の部分が呟くような小声になる。
来店者は女性。フランス人形を彷彿させるような、1980年代の洋画か、その時代を舞台にした世界に登場する貴婦人が纏うような赤いドレス姿である。しかし顔立ちや目の色、返事の言葉から日本人ではある。
見るからに金持ち。会話も、平凡な大学生に分からない内容を語りそうな印象。酒の注文もこだわりのあるものか、“おすすめのカクテル”といったものを所望しそう。
あらゆる偏見と不安がセイタにのしかかる。
女性が席に着くと、「焼酎……ストレートで」と、早速予想を覆された。
見るからに焼酎や日本酒より、ワインやお洒落なカクテルを頼みそうだが、セイタは安堵し、焼酎をコップに注いで渡した。
話し下手なセイタが次に心配するのは、客との会話であった。
先輩の忠告では“よほど的外れで場違いな返事や暴言を吐かない限りは問題ない”と言われるが、ある程度は真っ当な返事をしなければならないであろうと思われる。
女性が焼酎を半分まで飲むと、しばらくして愚痴を零す。内容から、監督や演出家の指摘に対する不平不満、自らの苦労を分かってほしい訴えなどであり、どうやら女優であることが判明した。それが舞台なのか、映画やドラマかは分からないが。
時々意見を求められるも、セイタなりの相づちや女性を肯定する意見を返した。すると、女性は喜びながらもさらに愚痴や意見が堰を切ったように溢れ出る。
続けて焼酎をおかわりし、先ほどと同じペースで飲んでは愚痴、飲んでは愚痴を繰り返し、ほろ酔い気分で立ち上がった。
ストレートの焼酎を二杯飲み、ほろ酔い気分だが平然としている様子から酒は強いと思われる。
愚痴の相手をしてくれたセイタへ感謝の意を告げると、入り口へ向かう。来店時同様に品のある歩き姿に見とれたセイタは、次第に姿が薄れ、扉へ着く前に消えた事態に目を見開いて驚いた。
あまりの出来事に目をこすって確認するも、先輩の忠告、五番の意味がこれであると唐突に理解した。
相手が幽霊とは考えにくいが、真っ当な人間ではない。とはいえ、自分は真っ当な人間だがこの店にいて、来店者の相手が出来ている。先輩も然り。
混乱しつつも、アニメや映画が好きなセイタの豊かな想像力が導き出した答えは、『ここは、不思議体験として来店した人間の相手をする店』であった。
3 愚痴り……落ちる
四日経った。
本来ならこの辺りで休日をもらえるのだろうが、セイタ以外の従業員が一人として存在せず、先輩もいつ戻るか分からない。どういうわけか連絡しても返事がない。
『少しの間』と言ったのだから、少しの間なのだろう。と、今のセイタはあまり深く気にもとめていない。なぜなら、今の気分はそれどころではないからである。
そう思わせてしまったのは、来店客が様々過ぎたからであり、セイタの興奮が治まらないでいる。
女優、男優。戦後を印象づける婦人、同時代の厳格な印象の男性。時代変わってどこかの社長。ホームレス。神父。今にも死んでしまいそうな雰囲気の男性、そして別の日に同雰囲気の女性。
なぜこうも変わった者達が来店出来るのかは未だに謎でしかない。店長がいるなら会ってみたいとセイタは胸に抱きつつ日々の業務に励み、酒の勉強にも余念が無い。
本日三人目。女性客が訪れた。
格好から現代人女性にしか見えない。ただ、何か思い悩む事があるといった表情のまま席に着くと、ハイボールを頼んだ。
今までは焼酎、日本酒、ワインが繰り返し注文され、初バーテンダーにしてようやく別の酒。注文されそうで無かったハイボール。
セイタは自分が家で作るような、ウィスキー多めのハイボールを作り女性へ提供した。
ほどよく顔が赤らみだした女性は、コップ半分で酔った雰囲気ができあがり、堰を切ったように言葉が溢れた。
それらの内容は、なんというか、ファンタジーに関するものであった。
ファンタジーと聞くと、現代社会とは別の世界、通称・”異世界”と呼ばれる世界において、剣と魔法を用いたキャラクターがモンスターや魔王を倒すといった、極々ありきたりな物語が浮かぶ。しかし女性の語られるファンタジーは、主にドラマや映画などが占めていた。
いがみ合っていた男女が紆余曲折を経て結婚。
内気で地味な女に男前達が集まって取り合い。勿論、女は美人。
どれだけ男が女性と付き合う気が無くても(その逆も然り)、なぜか最終的に付き合うか結婚へと行き着く。
基本、メインキャラは男前と美女。
セイタもそれらには思うところがあった。だが、彼の場合、異世界ファンタジー寄りであった。
異世界を舞台にしているのに繰り広げられるのは、王国間の政治ネタ。
バトルより悪人の残虐ぶりが際立つグロネタ。
男主人公にハーレム展開が多い。
女主人公にイケメン揃いが多い。
大体が似たような魔法を唱える。
真顔、どや顔、イキリ顔で難敵をあっさり倒す主人公が多い。
どうやらセイタも、女性客とは別のファンタジーへの不平不満があるらしく、語りだすと止まらなくなった。
二人は全く別の”ファンタジー”をテーマに置いた話題で意気投合し、興奮しあって熱弁が止まらない。
おそらく、第三者から見ると、なぜ打ち解け合えてるのか不思議に思う程に、二人の熱量はすさまじいものがあった。
二杯目のハイボールを女性が飲むと、いよいよ呂律が回らなくなり、それでも頼んだのだから勿体ないとばかりに勢いよく残りを飲み干すと、間もなく寝落ちしてしまった。
この展開は初めての経験であり、どうしようかと迷いが生じるもつかの間、女性の姿が薄れ、やがて他の客同様に姿を消した。
間もなくバーの灯りも消え始めた。
毎度の事ながら、この店は何を意図して存在しているのか分からないと思いつつ、セイタは忘れ物がないかを確認してバーを出た。
4 謎ばかり
不思議。その言葉はそれだけで魅力がある。
普通の生活を送る上で起きないであろう事象を経験するのだから、一度は体験してみたいけど、いざ体験すると不安を抱いたり、恐怖したりするだろう。
それほどの謎めいた力が生じる不思議だが、慣れてしまえばどうということはない。自身の生活の一部、日常の一端と思えてしまうと、いくら不思議であり、説明出来ない事象であろうと不思議の効力は次第に治まる。
不思議なバーでのバーテンダーを連続四日出勤したセイタは、五日目の夕方に、今日はどんな客が来るのかと胸を躍らせていた。しかし、いつもの場所へ行くと、バーの裏口がなくなっていた。代わりに先輩が冬服姿で待っていた。
季節は秋の終わりであり、なかなかに寒いのだが、これほどまでに着込む寒さではなく、単に先輩は寒がりなだけである。
どうやら用事が済んだので、代役を解消するというだけを伝えに来たらしい。
そんな事を急に言われても。と、どうやらセイタの中ではあの不思議なバーで働くことが楽しくなりだしている。
当然ながら解消の理由を求めるも、無理なものは無理。と、まるで腑に落ちない、粗雑な言葉で返されてしまった。
先輩はそれ以上の説明無く、代わりに一本のウィスキーを渡した。どうやらバイト代らしい。念押しのように、数万円はするものだ。と言われるが、真偽の程は定かでない。
これ以上問い詰めても意味が無く、先輩の後をついて行きバーの場所を探ろうと計画を密かにたてた。
とりあえず帰路につくセイタは、ウィスキー多めのハイボールを飲もうと決めた。
お高い酒など飲んだことのないからと、いつも以上に丁寧にハイボールを作り、いつもは買わない高いつまみを肴に、と、準備も整え、一人晩酌に興じた。
いつ、意識を失ったかは分からないが、目を覚ますと午前七時であった。
まず先に意識が向いたのは、机の上にやたらと高そうなウィスキーがおいてある、自分はハイボールを八割ほど飲んで寝落ちした、である。
つまみも普段では買わないものを、どういう意図でこれらを揃えて晩酌したのか、まるで思い出せない。別段、特別な日でもないのに。
記憶の片隅に残るのは、ウイスキーは仲の良い先輩からもらった光景。しかし、どうして貰ったのかが思い出せない。
昼過ぎに連絡すると、以前誕生日祝いのお返しをしていなかったのだと告げられ、高いウィスキーを貰ったのが経緯と判明した。
滅多に飲めない高いウィスキーを飲むのだから、つまみは豪華に。そんな発想で自分はこの状況を作ったのだと、セイタは答えを導き出した。
まんまと先輩の手にかかり、不思議なバーの事を完全に忘れてしまっている。以降、セイタが不思議なバーの事を思い出すことはなかった。
先輩が何者であるかなど、疑う余地すら皆無である。