#76 桜
3月も半ばになると暖かい日が続き、もう少しでトンネルから出られるような、何処かへ出かけたくなるような、そんな気分になる頃だ。
毎年、春の訪れを感じさせるものに梅が挙げられるだろう。
南、或いは西日本から梅の便りを耳にする事が多くなる。
近年個人的には花粉がその役を担っているのがツラいところだ。
そしていよいよ春本番の主役と言えば桜だろう。
酒を呑む事の好きな人が大手を振って酔える そんな季節の到来でもある。
この2年はコロナ禍の為、花見そのものは自粛せざるを得ない憂き目に遭っているが、再び満開の桜の下で宴を持ちたいと思っている人も多いだろう。
確かに桜は美しい。
しかし、である。
その薄桃色の花が春の空に満ちる時、何故か言いようのない不安に襲われる。
妖気を感じると言ってもよい。
夜桜なら尚更だ。
普段、霊やそれに伴う現象に興味のない私がそう感じるのだ。
想像して戴きたい。
夜、生暖かい風に長い黒髪を揺らし、舞う花びらと共に桜の樹の下、白装束の女性が立っている画を。
こんな事を感じるのは私ひとりなのかと思っていた高校生の頃、題名に惹かれて手にした小説。
そこにはこんな事が書かれていた。
「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です」
「これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした」
「桜の林の花の下に人の姿がなければ怖ろしいばかりです。」
「(中略)そんなことから旅人も自然に桜の森の下を通らないで、わざわざ遠回りの別の山道をあるくようになり (後略)」
その本、坂口安吾著「桜の森の満開の下」は自分の感覚に告げる何かはそういうことだったのかと得心を与えてくれた。
それ以降、愛読書となった。
そして終章の描写が恐ろしくも哀しく、儚くも美しい。
また、それより20年程前の作品である梶井基次郎の小説の冒頭。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」
やはり同じような事を考える人はいるものだ。