途方に暮れない私を見ながら散文
どうして、も、いつから、も仮の疑問詞としてまずある。
どうして。私は、いつから。途方に暮れなくなったか。
久しぶりに飲み会に参加し、そのあとに半アウェーな集まりに参加した。
所属が変われば立ち位置も変わる。ウケる話も変わる。そして視線も変わる。色々な人がいる。
色恋に向けた色眼鏡の色がいつの間にか少しずつ剥げていた。
孤独に酔うことを忘れた。才能を信じる心を忘れた。何者かになりたい願望が奥底から引きずり出され、自ら机の上に置くことができるような体になっていった。
守りたいものが社会の線に沿っていった。幸せを手に入れやすくなった。それでも酔うと、その頃が恋しくなってしまったりする。
自分なりの幸せなんかをがむしゃらに求めていくことこそが美しいのだと、疑う余地なく信じていた頃。
自分なりの幸せだとかが、斬新なオリジナルな思想こそにあると、固く信じていた頃。
そのために私は歯を食いしばりながら本にしがみついたし、レール上にあらかじめのっていない経験とやらを求めたがった。
でも、そんなことしなくても、いーんだよ。
って、なんか思うんだ。
別に疲れちゃったとかじゃない。私はその頃の私を手放したくて手放したんだ。結果論だけども。ああ、でも、疲れちゃった。それはそうだ。今はもう疲れたとか疲れてないとか思わない。ストレスとかとは無縁の世界。なんてたって夏休みだからね。
一瞬の安寧だったとは信じたくないな。
まさかこんな気持ちを思い出す時が来るとは思わなかった。酒は人格を破綻させる。
縁切り神社と縁結び神社に行ってきました。願いを見つめ直すのに、お願い事だとか神社とかは長けています。
もっと、自分を見つめてみようかな。興味のない話。笑える話。様々な人。
選択は選択を重ねることで上達させるのではなく、その先を見て通過するようなものなのかな。選択のための選択をしていないか。
テクノロジー、もういいです!コンピューター、もういいです!
会社にお金をもらって、休日に息抜きをする。
それしかきっとできないから。
もう一度知に戻れるなら、もっと形を手に入れられるかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?