れっどきゅー

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コンタクト取りたい

コッペパンが爆ぜた。パンと音のなる電子レンジは、君が丁寧に話を聞いて家電量販店で選んだものだったんだった。 「コッペパン、そして牛乳」 かつて黒いドロドロとした感情が立ち込めたこの関係は、今は引き出しから写真とともに引き出すだけのトキメキがある限りで、他には特別ななにかを示すものはなにもない。 ↑2023/05/02/0:41 「あひるの親子の話の続きなんだけど、レンガに敷かれたたんぽぽの香りを纏って、太陽に抗議したってオチ」 オレンジ色のソファの下からくぐもった声

    • 【2024年2月下書き】矜持について

      世界に心を許しすぎるとなにも生み出せなくなってくる。 生み出すという行為は、世界と自分の差額を排出するということだ。 自分が世界の方に歩み寄ることを止めない限り、なにも生み出せず世界の潮流にただ飲まれていく一方である。 それでいいのかと問われたときのことを考えてみる。 今の私は確かに世界にかつてないほど近づいていて、生み出したい、捜索したいと思うエネルギーがかなり不足している。 そもそも私の中に創作欲というものが備わっていたのか、はたまた失ったもののプライドだけで作っていた

      • ?なにが楽しくて

        悪い噂が回ることは百害あって一利ない。 色々な幻想が砕けてきている。疲れたわけではない。めんどくさいもそこまで強くない。ただ無力感。私は力になれないという思い込みが強い。これは、自信過剰になって嫌われることへの恐怖、落胆することへの恐怖から来ている。 もっと愛に生きたい。 好きだったけど、もう関わらないかなーって思った。 面倒だから。たぶん、関わるだけ歪みが冗長される。 媚を売るのも飽きた。いつまで続けてたんだろ。 でも結構、それが私のコミュニケーションの大体だった。そ

        • 冷水シャワーまとめ

          昨日から冷水シャワーを習慣化させようと息巻いているので、せっかくならと効用等をまとめてみる。 そもそも冷水シャワーを浴びることの効用は寒冷療法と繋がる。古代ギリシャの時代は社交やリラクゼーションの目的で主に行われていたという。現代我々も普段用いる寒冷療法としては、捻挫や炎症などのケガをした際に、湿布やアイシングをすることが挙げられる。 冷水シャワーの効果としては以下がある: 炎症や腫れの鎮静化 関節のマン精通や筋肉痛の軽減 免疫力の向上 代謝の改善と健康的な体重減少 イン

          ドーパミン駆動

          依存していた先を思い切って断ってみることにした。私の依存先は、X、YouTube、Instagram、ポケポケ、BeReal、たまにThreadsだ。 自分を少し変えてみたいと思うようになったので、まずは日々の惰性を取り除くことから始めたい。この状況が良くない理由としては、なにも面白くないし面白いものが待っているわけではないと知りながらもこれらのアプリを延々とスクロールする時間があまりにも長すぎることにもある。 BeRealはやめないが、ポケポケはこの試合が終わったら消す

          ドーパミン駆動

          うんとこしょ

          文書 白々しい。 関係、言葉、生き方、目の向き、フリックする指、人との関わり、感情、意思、 わざとらしい。 ワナビーも消え、縋る先というものは退散した。人に寄っ掛かって生きている。人に寄っ掛かって生きていく。1人で歩きたいと思えるほどに世界は輝いていない。 メタを愛することもしない。俯瞰より楽しいことは知っている。ただ、ノリきるにも体力は必要だ。どっちにも疲れた態度で接するが故に、私はますます白々しくなる。 消えるのを待つ。時効を待つ。許される時までひたすらに時間を

          アイデンティティの揺らぎ癖

          私はきっと、人格がぐらつくことが快感だ。 人を多方面から見て、立体にして、多次元にして、かつて自分と思っていた部分、かつてその人だと思っていた部分をぐらぐらさせたりしたりすることが好きだ。癖だ。 それは過去の私の成功体験にある。著しく脳汁を出した出来事。引っ込み思案だった自分を改革すること。自分が新しくなっていくこと。その楽しさを知ってしまったから、ずっとそれを未だ求めている。 女の子って、同じで違うことが前提だから、興味が湧きやすい。根っこは同じだから、全部違うことも肯

          アイデンティティの揺らぎ癖

          試み

          Twitterを開きたくなったら、私が文書を書く。ここに。 ラーメンズのYouTubeをまた見始めている。ラーメンズの面白さは他とは一線を画している。現実社会に切り込むようなコントだ。ただ知的な言葉遊びや哲学や風刺をしているだけでなく、ちゃんとお笑いとしても面白い。表現力や演技力もピカイチだ。 私がお笑いを志すものだったら絶対に影響されていただろう。 長谷川白紙の音楽は気持ち悪い(もちろんいい意味)と思いそれまでだったけれど、今日それは中毒に変わっていた。ぐっちゃぐちゃで

          気持ち悪い文章しか読みたくない

          綺麗になったら人間でいる意味がない。気持ち悪く、手癖まみれで、おずおずと踏み込めないような内蔵の腫瘍みたいな部分が人格の9割5分で、残りの5分で器用に世渡りをして、互いの9割5分を擦り付け合うみたいな恋がしたい。 セカイ系まで意識を飛ばさなくていい、現実に地を付けたままキモくなる。下手に好奇心ドリブンで動かなくても、佇まいをキモくする。 それはきっとつらい生き方だろう、些細なことに躓き、出処のない箱の中に潜り込んでもがくこともあるだろう、それでもそこから見える世界は格別なん

          気持ち悪い文章しか読みたくない

          脱、自分に対する固執主義

          かつて、研究に没頭できる、ことの意味が分からなかった。これは一例で、別に研究じゃなくたっていい、なんでも同じ、それは自分そのもの以外へ関心を向ける行為をできることが到底信じられなかったからだ。 からだ)身体、それは昨日の延長上にあり、アナログ的に直前の私に由来し、思考によって行き先を変える。 変える)帰るところがあると信じながらやみくもに、クレーンゲームに吊られるように移動するように生きていた。 ていた)停滞する加速度に負けて、だらだらと日常をこなし、社会*の構成員にな

          脱、自分に対する固執主義

          ぽえむになれない

          火に飛び込んで火傷をする。 何もないのをわかってそれでも(ポップステップ)ジャンプする。 諦めながらねじりの反動だけで動く。 たらら。自分の鼓動で動く。 ダン。パ。音に合わせて動く。 振りとダンスと踊ることはまるで違う。ひー。 自分が踏み入れなかったら、今頃夜空のことじゃなくって踊ることに言及してたのかしら。 昔みたいに、すぐ悲哀や諦念に入ることすらダサいと感じるようになって、しかしそれを抜きにした時に描写できるものに限りがあって、感受性が型に嵌っていたことに今更気づく

          ぽえむになれない

          日記

          なんかもう、ありのままを垂れ流してしまう。丸裸の日記。それすらも面倒に思えてしまう。わかってほしいわけでもない。形にしたいわけでもない。正直、好きな人と恋をしたいだけなのかもしれない。 自分の身の回りのことを把握し切れていない。それにとてもびっくりしてしまう。自分のことをなにもわかっていないことをようやく知る。 つかれたー。大好きな人と一緒にいたいだけなのにな。 そんな人がいるだけでも恵まれてますか、そうですか

          才能ないゆえ

          私はダンスの完成度を上げるのに、足を引っ張るような存在だ。ブラッシュアップするための能を持たず、悪目立ちする。一言で言えば才能がない。 そのため怒られる。口頭で言われたことを覚えられず、再現できないから。ただ、努力をしていないわけではない。むしろ時間を取ろうと意識しているし、なんなら常に頭の中付近にダンスはある。それでも足を引っ張り続ける。一言で言えば、才能がない。 私は勉強に関しては昔から得意であった。たとえば運動神経はあまり良くなかったが、それによって苦しめられたことは

          あれ、あれ、

          忘れていた感情も、確かにもう一度私の元に帰ってくることは、実は当然なのだ。 たとえば生理が来ること。生理不順でしばらくこなくても、いつか来る時はやってくる。これは生物学的に女である以上の宿命であるし、決定的に男と違う生き物であるということを嫌というほど思い知らされる。生理は日常生活において、百害あって一利ない。 たとえば楽しみ方を忘れてしまったこと。コミュニケーションを円滑にできず、上っ面でなんとかしようとすること、のもどかしさ。自分には他の人とは違う余計な遅延があること

          最高だけじゃない最悪のここで

          夢の世界は例えばラーメンの動画を見ることや塩豚骨ラーメンを食べることとか恋愛リアリティー番組を観たりだとかドラマにハマって一気見したりだとか、そういう点にあるのではなく、もっと広く分布されていてほしいし、そうであるべきなのに、最悪は点でもすぐに全体に拡散されていく。 幸せは、喜びは一瞬なのに、苦しいつらい現実はずっと続くよ。 男の人を好きになって、恋をする人生でいたかった。なんでこんなに無駄に一途なんだろう。もういやだ。可能性がないことなど知っているのに。

          最高だけじゃない最悪のここで

          途方に暮れない私を見ながら散文

          どうして、も、いつから、も仮の疑問詞としてまずある。 どうして。私は、いつから。途方に暮れなくなったか。 久しぶりに飲み会に参加し、そのあとに半アウェーな集まりに参加した。 所属が変われば立ち位置も変わる。ウケる話も変わる。そして視線も変わる。色々な人がいる。 色恋に向けた色眼鏡の色がいつの間にか少しずつ剥げていた。 孤独に酔うことを忘れた。才能を信じる心を忘れた。何者かになりたい願望が奥底から引きずり出され、自ら机の上に置くことができるような体になっていった。 守りた

          途方に暮れない私を見ながら散文