夏の思い出
塾の帰り道に廃屋がある。
夏期講習夜の部を終えた僕は、真っ暗な道を早足に歩いていた。廃屋の横を通り過ぎようとしたとき、中から笑い声が聞こえてきた。
うふふふ。
女の子の笑い声。誰もいないはずの廃屋から聞こえて来たその声は、真っ暗な夜道に響き渡った。僕は驚いて急いでうちに帰った。
夜、布団に入って、さっき聞いた笑い声を思い出していた。びっくりはしたけど何故か怖くはなかった。それは笑い声がとても可愛くきれいな声だったからだ。何かで読んだ『鈴を転がすような笑い声』ってあんな風なのかな?もう一度聞いてみたい。僕はあの可愛らしい笑い声に、すっかり魅せられてしまっていた。
もう一度、あの鈴を転がすようなかわいい笑い声が聞きたいと思い、次の日、同じ時間に、僕はあの廃屋にやって来た。何故か門は開いたままになっていた。僕は引き込まれるように中に入った。真っ暗な裏庭。足元に気をつけながらゆっくり歩いていたその時、背後から
だれ?
と、声が聞こえた。驚いて振り向くと、僕と同い年くらいの女の子が立っていた。
勝手に入ってごめんなさい。
すぐ出て行きます。すみません。
僕が焦って引き返そうとすると、彼女は
誰もいなくて、退屈していたの。
よかったらうちに来ない?
と、僕を廃屋の中に招き入れてくれた。
外観は廃墟そのものだったが、通された応接間は、かなり立派できれいだった。
知らない家の中で、しかも知らない女の子と2人。最初はめっちゃ緊張していた僕だったが、徐々に緊張が薄れて、学校や部活、面白い友達の話しなど、彼女を相手に夢中でしゃべり続けた。そして、僕の話しを聞きながら、彼女はあの『鈴を転がすような』声で笑っていた。
次の日、また彼女の笑い声が聞きたくて、今度は僕が書いている小説持って、昨日と同じ時間に、僕はあの廃屋を訪れた。僕の自信作。彼女は面白がってくれるだろうか?
ドキドキしながら門を開けて中に入り、昨日案内された勝手口のドアをノックした。しかし返事はなかった。
今日はいないのかな?
そう思って帰ろうとしたとき、スーッとドアが開いた。僕は恐る恐るうちの中に入って行った。
部屋の中は真っ暗。しかも、あの素晴らしい応接間は昨日とは打って変わって、廃墟のそれそのものになっていた。昨日彼女が座っていたソファに目をやると、何か光るものがあった。スマホのライトをつけて見てみると、それは小さな鈴だった。僕は鈴を掌に乗せて転がしてみた。
チリチリチリ
鈴は、まるで彼女の笑い声のような、可愛らしく、透き通るような音を立てた。
僕は鈴をポケットにしまい、家の外にでた。ドアを閉めて空を見上げると、瓦屋根の上に赤い三日月が見えた。昨日、彼女が着ていたワンピースみたいな色だなと思い、そしてもう一度鈴の音が聞きたくなり、僕はポケットを弄ってみた。確かに入れたはずなのに、何故か鈴は、いくら探しても見つからなかったのだった。
(了)