悩みの悪循環 今自分にできること

悩みの悪循環という言葉があるらしい。悩むと解決しようとするけど、解決できないので、また悩むということを繰り返すことのようだ。

筆者はあまり悩まないので、悩んで苦しむ人の気持ちを理解できるかと問われれば理解できないのかもしれない。でも筆者は悩まない代わりに、何でも受け入れてしまったり、人一倍努力するという視点で欠けている部分があるのではないかと思っていたりもする。だから、悩む人と言うのは、ほんとうはとても前向きで物事の改善意識が高い素敵な人たちなんだと思っている。

筆者はその程度の人間だが、悩んでいる人に寄り添って、あなたのせいではないと言ってあげることくらいは出来ると思う。言ったってわかんないじゃないかと言われればそれまでだが、悩みが理解できなくても、悩みを聞いてあげることは、したいと思っていたりもする。もしかしたら、万に一つでも、解決する方法が見つかるかもしれないと勝手に思っていたりもする。そういうところも楽天的で申し訳ない。

悩むときは、「できないことをしようとしているとき」なので、できないこととの戦いにエネルギーを浪費するのではなく、今できることに取り組んで欲しいなと思う。

悩んでいる自分が嫌いなんてことにならないように、悩むというのは前向きなことなんだとどうにかして気づいて欲しいなと思う。

筆者は少し前に、娘の部屋を片付けていたら、次のような作文を見つけた。「周りはみんな外国人、私の聞いたことも使ったこともない言葉をしゃべり、不安が一気に襲ってきた。知っている人以外と話をする気がなくなった。何故なら怖かったからだ」「ほんとはもっと明るい性格なのに、なかなか気軽に話せない自分に腹が立ち自分のことが嫌いになった。」

家では笑顔で過ごしてくれていたので、心が痛かった。彼女は、父の駐在が終われば日本に戻れると思い、それで、つらい米国での生活を乗り切ったのだと思う。多感な小学校と中学校をそのような状態で過ごし、活発にはなり切れなかったのだろう。今は日本での高校生活が楽しく、心配いらないよと言ってくれる。

駐在に子供を連れていくかどうか悩んでいた時期、みな口をそろえて、子供にとって絶対よかったと思えるから連れていくべき。駐在中も、何度となく、行けるものなら行きたい、とか子供には絶対よかったよと言われ続けていたが、一緒に米国に来てよかったかどうかは、当の本人にしか結局のところ分からない。

結論を述べるのではなく、単に悩みを聞いて欲しかった。でもみんな(もちろん筆者のためを思ってなのだが)自分の意見を述べる。そうではなく、聞いて欲しいのだ。結論は自分で出すから。筆者は、知った風に言われるのがとてもイヤだったし、今でも駐在に子供を連れて来て本当に良かったのかどうか自問自答をしている。

と、娘の悩みにも気づかずにいたので、大したことはないが、悩みを打ち明けやすくて、素直に聞いてもらえる、そういう世の中になればいいのになと思う。

今の世の中は、攻撃的過ぎて、生きにくくなっている。世界平和は、個人の悩みが解決されることが第一歩で、そういうことの積み重ねで解決していくと信じてる。

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