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「幸せな在宅ひとり死」とは?
願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
こんなふうに、自分の死に方を自分で決められたら、かっこいいなぁ…。中学でこの歌を習った時、そう思いました。
ユングがいうところの「人生の正午」を過ぎた今、いつまで生きられるかは、神のみぞ知るだけれど、せめて死に場所くらいは自分で決めたい!強くそう思います。
上野千鶴子の新刊。(本当に尊敬する人には、敬称は付けない。ベートーベンさんとか、ゴッホさんって言わないのと同じ)帯に書いてあった文章に、激しく膝を打ちました。(本屋さんなのに…。^^;)
「わたしには家族がいませんので基本、ひとりで暮らしています。現在72歳。このまま人生の下り坂をくだり要介護認定を受け、ひとり静かに死んで。ある日、亡くなっているのを発見されたらそれを『孤独死』とは、呼ばれたくない。それが本書の執筆動機です」
私も上野同様、家族がいません。看取ってもらうために、家族をつくろうとも思いません。出来れば住みなれた家で、静かに逝きたい。それを「孤独死」なんて言われたら、たまったもんじゃありません。(まあ、もう死んでるからいいんだけど)
孤独死というと、死後何週間も何ヶ月も経って発見され、夏の暑さで遺体は痛み、異臭は耐え難く…、ってイメージですよね。
だけど上野はこう言います。
「孤独死したひとびとは、生きているうちから孤立した生を送っています。」
つまり、元気なうちから仲間を作り、(それも近過ぎず遠過ぎずの、ほどほどの距離感で)姿が見えなくなったら、2〜3日で見つけてもらうような、そういう生活を送ればいい。それなら、私にもできそうです。
あと、有効な遺言書を作ったうえで、その執行人もしっかり決めて、迷惑をかけない程度のお金を残すこと。上野はここでも言います。少しくらい、迷惑かけたっていいのよ。最期なんだから。
うーん。ますますホッとする。( ´∀`)
結婚していても、していなくても、死ぬ時はひとり。特に女性は、パートナーより長生きする可能性が高い。自分の死に方を決めることは、最後の、そして最高の自己決定権なのかもしれません。