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小学校教科書が歪めた国史④ 平安時代~国風文化成立の意義を軽視した罪

 学習指導要領は、平安時代に教えるべき内容として、「貴族を中心とした華やかな生活の様子や寝殿造りなどについて調べて、京都に都か置かれたころの政治の様子や日本風の文化か起こったことを恩解すること」と指示しています。
 華やかな国風文化の興隆が平安時代のメインテーマです。国風文化、つまり、「唐風」ではなく、日本風の文化が栄えたことの歴史的な意味を、子供に伝えることが大切なのです。
 すでに、安史の乱(755~763年)によって弱体化していた唐からは、もう学ぶものはないと判断した菅原道真の建議により、寛平6(894)年に遣唐使は廃止されます。その陰には、彼と藤原時平との権力闘争もあるのですが、実際、907年に唐が滅亡したのを見れば、道真の判断は正しかったと言えるでしよう。
 そしてその後、我が国は独自の文化を創造する時代に入ります。紫式部や清少納言らの女性作家が、表現の細やかな文学作品を著すことが可能になったのは、ひとえに仮名文字の発明によるものです。また漢文学では詩歌のみが重んじられましたが、その呪縛から解き放たれることによって、世界的な長編文学作品である『源氏物語』が成立するに至ったのです。
 しかし一部の教科書は、この仮名文字について、単に「漢字をくずして誕生した文字」とだけ紹介し、その後の国風文化に与えた影響には思いが至りません。
 延喜5(905)年には、初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が編まれています。和歌を詠むことは貴族の基礎的教養であり、それは「歌会始」などの皇室行事に受け継がれています。また『古今和歌集』の中に、国歌『君が代』の基になった歌があります。国風文化が今日の文化につながりがあることをもっと強調すべきではないでしょうか。
 さて、この時期の政治家で、学習指導要領が取り上げるべき人物として唯一名前を挙げているのは、藤原道長です。四人の娘をすべて天皇に嫁がせた道長は、摂関政治の時代の頂点として、藤原氏の栄華を象徴する人物ですが、その陰で、皇室の存在はまったく見えなくなってしまっています。
 もちろん、小学校教科書ですから、皇室と藤原氏のせめぎ合いに深入りする必要はないでしょう。しかし、たとえぱ、宇多天皇が菅原道真を重用して藤原氏を抑えようともたこと、醍醐天皇が崩れていた律令制度の再建を図ったこと、後三条天皇、白河天皇が藤原氏から実権を取り戻そうとしたことなどは、いくら学習指導要領が指示していないとはいえ、平安期の政治を知る上で重要であるだけでなく、皇室のイニシアティヴを示す実例として紹介されても良いのではないでしょうか。
 また、藤原氏をはじめとする貴族が、決して遊興にふけっていたわけではなく、国風文化の担い手でもあったことを示す必要はあるでしょう。藤原道長は、紫式部に高価であった文房具をプレゼントしています。道長は鼻持ちならない大金持ちの権力者であっただけではなく、国風芸術家の「パトロン」でもあったのです。
 一方、「貴族が華やかな生活をしていたころ、農民のくらしは、貴族とは比べ物にならないほど、そまつなものでした](東京書籍)と、言わずもがなの貧富の差をことさらに強調しています。教科書が子供たちに示す平安時代像は、遊びほうけている貴族の支配下で苦しむ晨民たち、という陳腐なマルクス主義的歴史観そのものです。

※各社教科書の記述は、平成12(2000)年度版によります。
連載第96回/平成12年4月5日掲載


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