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大正時代を知っていますか?⑤ 「民主主義」の危険性を指摘してた吉野作造

 大正デモクラシーの理論的指導者とされるのは政治学者・吉野作造です。
 吉野は、デモクラシーを「民本主義」と訳し、雑誌『中央公論』などを通じて、議会制民主主義の発展や普通選挙の実施を主張しました。ところが、教科書によっては朝鮮の独立運動である「三一運動」や中国の民族主義運動である「五四運動」を評価したと書かれており、彼が大正期の政治を否定していたかのような印象をも与えられます。しかし、それは例によって恣意的
な理解に過ぎません。
 吉野は、デモクラシーという語を、「民本主義」と「民主主義」に注意深く区別して訳し、「民主主義は危険思想だ」、と断じていました。では、吉野の「民本主義」は、「民主主義」とどのような違いがあるのでしょうか。
 確かに吉野は、一歩進んだ民主化、という意味で「民本主義」を主張しましたが、それは衆愚政治につながる野放図な大衆民主主義ではなく、「貴族による世論指導」を前提としたものでした。政策の最終決定権を大衆に与えるというのは、危険な「民主主義」であり、大衆が政治に参与することは必要であるが、それを指導する役割が「貴族」、つまり元老をトップとする当時の政治支配層にある、と主張したのです。
 吉野にとって、主権者は上御一人、つまり天皇であることは自明のことでした。この点は美濃部達吉らの「天皇機関説」(国家主権説)とは異なります。しかし、「天皇が親政をされるはずもなく、当然周囲の人に相談して政治をされる。選挙権の拡張の問題も、少数の人に相談されるか、多くの人に
相談されるかの違いである」と考えていたのです。また、普通選挙の実施により、選挙違反に関する汚職が少なくなることも期待していたのです。これは、当時の政治思想として非常に穏当なもので、彼が過激な民主化を唱えていたのではないことがわかります。
 確かに「三一運動」や「五四運動」への共感をも表明している吉野ですが、それは「民本主義」の対外的適用という観点からで、明治維新以来近代化を進め、政治的に民主化を進めてきた我が国を手本にして、朝鮮や中国が学びつつあることを素直に喜んでいたのです。それは今日の、日本人でありながら反日思想を持つ歴史家や思想家が、歴史を歪めて外国に媚びているのとは次元が異なります。こういう面で吉野を評価する本に限って、吉野が中国に対して尊敬の念を持って接することを前提に、「対華二十一箇条要求」に賛成したことなどには知らん顔です。
 さらに吉野は、「民主主義」の問題点を語るなかで、サンディカリズムとレファレンダムの危険性についても警告を発しています。サンディカリズムは、19 世紀末にフランスで盛んになった思想で、労働組合の直接行動による革命により、生産手段の共有化をめざすというものです。レファレンダムは、昨今流行りの、いわゆる住民投票= 直接民主主義です。サンディカリズムを肯定したり、レファレンダムを多用したりすれば、議会制民主主義は崩壊してしまいます。
 過激な「民主主義」を否定し、「民本主義」を主張した吉野は、今日その弊害が指摘されている大衆民主主義の持つネガティヴな側面を、すでに100年前に喝破していたといえるでしょう。

連載第20 回/平成10 年8月29 日掲載

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